ブックタイトル広報かすみがうら 2017年1月号 No.142

ページ
16/20

このページは 広報かすみがうら 2017年1月号 No.142 の電子ブックに掲載されている16ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play

概要

広報かすみがうら 2017年1月号 No.142

かすみがうら 16文芸ひろば詠歌の紹介▼投稿作品(俳句・短歌・川柳)を募集しています。2 月1日水までに情報広報課(〒300-0192 大和田562 番地)へお願いします。なお、応募多数な場合には掲載されない場合がありますのでご了承ください。千代田俳句同好会いっぱいの太陽あびる冬芽かな 加藤貞江試合終え皆で楽しむ芋煮会 熊沢鉄雄ブロンドの子等投げ合える雪の玉 榊原清志まだ残る櫓の枯穂峡の風 桜井愛子裸木となりのびのびと大銀杏 桜井筑蛙出島短歌会秋の風肌に触れると身ぶるいするそれでもなぜか秋が恋しい 鴻巣望来鮮やかに変化してゆく紅葉は色とりどりに輝いている 川俣覚森の木々色とりどりの化粧してこれから旅へ小さき子たち 山口結愛秋の風運んでおくれ僕らの声どこまでもゆけ思ひ出のメロディー 齋藤梨花投稿作品人住まぬ垣根に見ゆる柊の白き花咲く季は巡り来ぬ 石塚清孫と子と曾孫集いて初春の屠蘇汲み交す刻ときの嬉しき 沽野はつ子木枯らしに兄と寄り添い善光寺ひときわ温き引く掌 中島良平毛筆だった姉の手書きの年賀状ペン字で細々些か気掛り 菅谷咊子喉越しをたしかめながら祝い餅 やまぐちいさむ糶の鐘声高らかに初市場 扶美世市民学芸員が行く      シリーズ?わがふるさと史宝をたずねて子こやすじんじゃ安神社と胎た やすじんじゃ安神社かすみがうら市の古代東海道と旧鎌倉街道の道筋の宅地と農地が広がる閑静な佇まいを残す巨樹の多い森の中、東野寺に「子安」、西野寺に「胎安」という名の神社があります。小さな農村地帯になぜ500メートルほどしか離れていないのに両神社が鎮座し、維持されているのか。その成り立ち・歴史・土地との結びつきを見てみましょう。子安神社現在地に平安時代の初期の大同2年、鹿島神宮の祭神・武たけみかづちのみこと甕槌命と富士浅間神社の主祭神・木このはなさくやひめのみこと花開耶姫命のそれぞれ分霊を迎え祀ったことに始まります。江戸時代から安産や子宝に恵まれることを願う女性たちの信仰組織「子安講」が数多くつくられ、これを中心に同神社の厚い信仰が寄せられ、隣接する胎安神社とともに安産・子育て神の聖地としての信仰拠点を不動のものにしていきました。本殿の外回りには、見事な木彫が施されています。拝殿内には江戸時代に奉納された絵馬、社名額などが多数掛かっています。胎安神社創建は古く、奈良時代の天平宝字6年と伝えられています。当初は、「香取神宮から祭神・経ふつぬしのみこと津主命を勧請し、梅宮神社の胎内安全の神・木花咲耶姫命を合祀しました。その名残が「安産育子酒造祖神」と刻まれた古い石柱が境内に現存します。江戸時代にはその信仰が高まり「たやすさま」の通称で親しまれました。天喜2年、源頼義と義家父子が奥州遠征の途中、都にいる義家の妻の妊娠を思い、神主を招いて安産祈願しました。大任を果たした父子は帰路、当社をお礼参りしたということです。江戸時代には領主本堂氏代々が参拝した上、奉額や寄進が度々あり、神社に笹ささりんどう竜胆の紋章使用が許されました。両神社の関係性ともに江戸時代の建築といわれる現社殿は、胎安神社が南向き、子安神社は北向きに建っています。東野寺と西野寺の野寺地区は常陸国府の南に位置しており、古代の東海道の幹線、中世の鎌倉街道と重なり、野寺地区は、恋瀬川と天の川の間の肥沃な土地であるうえ、府中の前進基地的な位置にあり重要なエリアであったようです。また子安神社が鹿島神宮の祭神・胎安神社が香取神宮の祭神を祭神にしていることも意味ありげです。            (深井 征一郎)問 歴史博物館?029 (896)0017紫陽花俳句会炉開の部屋にほんのり白椿 久保庭悦子自然薯の美形掘り当て丈三ひろ 田能幸雄湯ざめして冷たき両手胸に組む 萩原とし子長電話済めば湯ざめの心地あり 福田宏通