ブックタイトル広報しろさと 2017年1月号 No.144
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広報しろさと 2017年1月号 No.144
しろさと広報2017年1月14俳句短歌川柳ほつらさつぼかんほうまとどういんほうけんいんちけっかふざごうこんかいひのきしょめいほんぞんぼくみつくにがわとくばじはくげんろくそうとうしゅうしんごんみっきょうきょうしゅ「木造大日如来座像」町指定文化財城里町の文化財さんぽ(二〇)もくぞうだいにちにょらいざぞうこいたわゆかすさまごいくさわこうどほうきがわくちばしつま炬燵寢の父どつぷりと溺れをり飯田勇一嘴を背に乗せてをり鴨昼寢森静江母の居て有難き日々針供養中野千賀子夜明け霜休耕田の乾く音仲田まちゑ亡夫の座は今もそのまま置炬燵今瀬多代美浜風や冬帽子売る古着市綿引英子初詣何を願うか人の波富田多蔵今年また幸多かれと初日の出車田綾子トランプはやってみないとわからない飯村孝一城里の歴史と伝統初日の出川原清蜜柑籠みどりのひと葉添へてあり鯉渕寿美恵土産屋の炬燵老母の声高し飯村昭子掘炬燵堂々と根を張りてをり竹内幸子あざやかに鳥を待つ色実南天瀬谷博子丑三つに大太鼓の音年明ける岩下金司一点の白鷺釣瓶落しかな田口勝元登校の子らが蹴散らし霜柱寺門孝子箒川岩をかむ流れは渓深く崖の紅葉に夕陽かたむく冨田佐智子運動会文化祭にと孫からは元気を貰い老いを生きてく薗部光子新しい息吹を求め外に出る空晴れわたり爽やかな風富田欽子天高く蒼に澄みたる秋空に田をめざすか銀の飛機光げ杉山みちこ久々に草を引きたりなつかしき土の匂ひと風に触れつつ渡辺千紗子国道の黄昏どきは絶え間なく車のライト続きて凄まじ枝不美三人の男孫愛でにし亡き母の願いは一つ戦争なき世を島愛子八十路なる我が身おもいて早々と予防接種を受けて来たれり坪井きよ子クリスマス、バレンタインにハロウィンも若人の心弾ます日となり萩谷登喜子屋敷樹を伐りて明るし硝子戸の向かふに蒼き空の眩しさ大森久子はなれ住む娘らより老へ電話にて毎夕届く労りの声青栁京子午後からは台風来たる影響か枝葉もろもろわさわさ揺るる所美惠子咲き盛り金木犀は我が庭に香りしるけし秋陽のなかに山形式妙大日如来は、真言密教の教主で、宇宙の真理そのものがこの世に如来の姿として現れたものとされています。その姿は、他の如来像が螺髪で薄い衣一枚を着するだけなのに対し、菩薩のように髪を結い上げ宝冠や胸飾り等の豪華な装飾品を身に纏った王者の姿として表されます。宝幢院に安置される町指定文化財の「木造大日如来座像」は、胸飾りなどの装飾品は失われていますが、品良く温和なお顔立ちで、胸前に智拳印を結び、右足を上にして結跏趺坐する金剛界の大日如来です。材質は檜で、像高は九五センチメートルです。平安時代の作で、県内の大日如来像では最古のものとされています。体内には二つの銘文が残されており、頭部内から首部にかけて記された墨書銘には、この仏像は白馬寺の本尊であり、当時は観音像として信仰されていたことが記されています。体部内背面に刻された水戸藩二代藩主徳川光圀による修理刻銘には、光圀が元禄年間(一六八八?一七〇四)にこの大日如来像を修理し、宝幢院に移して安置したことが記されています。墨書銘の白馬寺は、江戸時代初期まで石塚に存在した曹洞宗の寺院で、元禄九(一六九六)年、光圀の命により現在の常陸太田市天神林町に移っています。解説文/町文化財保護審議会会長小山映一問合せ教育委員会事務局?029-288-3135指定年月日/平成一六年五月七日所在地/城里町那珂西管理・所有者/宝幢院町指定文化財「木造大日如来座像」城里町の文化財さんぽ(二〇)もくぞうだいにちにょらいざぞう