ブックタイトル広報つちうら 2017年1月上旬号 No.1186

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概要

広報つちうら 2017年1月上旬号 No.1186

広報つちうら № 1186 8 市民の皆さま 新年おめでとうございます。 昨年秋には奈良国立博物館で土浦市と関係深い鎌倉時代の律りつ僧そう忍にんしょう性の生誕八百年記念特別展が開催され、土浦市立博物館からも多くの文化財が貸出・展示されて大変好評を博しましたことをご報告いたします。これも市民の皆さまのあたたかいご支援のたまものとお礼申しあげます。    さて今回は、市内田村町の国道354号線(かすみがうら市から木田余方面に抜ける国道)工事に伴う下しもごう郷古墳群の発掘調査で、平成9年に発見された「半はんりょうせん両銭」1枚と、同じく市内木田余東台の御ごりょうヨ大遺跡から昭和63年から平成3年にかけて行われた木田余土地区画整理事業に先立つ発掘調査によって発見された「五ご銖しゅ銭せん」1枚についてご紹介したいと思います。これらの貨幣は双方ともに中国の前漢代(紀元前206~後8年)を中心に鋳造され、その後我が国に伝来したものであります。 半両銭は中国、秦しんの始しこうてい皇帝が、円形の貨幣の中心に方形の穴を開けた銭に統一した最初のものです。中国では銅銭は重さの基本単位で、1斤きんは16両、1両は24銖、1銖は約0・59㌘です。半両銭は秦代から漢代にのみ鋳造されました。始皇帝が鋳造した銭は十二銖半両、漢代の少しょうてい帝の八銖半両(紀元前186年)、文ぶんてい帝の四銖半両(紀元前175年)といわれます。これによると、下郷古墳群で発見された半両銭は2・3㌘の重さから推定して、最後に鋳造された文帝時代の貨幣であると思います。土浦市立博物館長上高津貝塚ふるさと歴史の広場館長茨城大学名誉教授茂木雅博市内発見の中国コイン新春 文芸