ブックタイトル広報おみたま 2016年11月号 No.128
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広報おみたま 2016年11月号 No.128
22平成28年11月10日広報おみたま小美玉市の歴史を知ろう29上吉影貴船神社―本殿に残る竜の彫刻―貴船神社は、小美玉温泉ことぶきに程近い、県道紅葉石岡線上吉影北の交差点から西側に入った住宅や畑地が広がる中に鎮座しています。大永6年(1526)の棟札には、貴船神社の氏子であった立開城主井坂修理助が大旦那として奉納したと記載されています。当初は高房大明神を祀っていましたが、元禄8年(1695)に貴船高房大明神と改まり、同年に建葉槌命が合祀されました。元文5年(1740)に貴船大明神となり、以後貴船神社として現在に至っています。また、かつては近郷四十八ヶ村の総社として、四十八社祭が執り行われていました。ところで、題名にもある竜の彫刻は本殿の側壁に彫られたもので、江戸後期~明治前期にかけて活躍した彫刻家後藤縫之助の手によるものです。縫之助の経歴をふり返ると、文政8年(1825)下総国猿島郡猫実村(坂東市)に生れ、15歳の時に笠間町で寺社建築にたずさわる宮大工の後藤茂右衛門に弟子入り、修行を積んだのち24歳で独立して後藤縫之助と名乗ることを許されました。安政4年(1857)、師匠の後藤茂右衛門の紹介により成田山新勝寺(千葉県成田市)の本堂彫刻を担当しました。同6年より笠間稲荷神社の本殿造営がはじまり、縫之助は彫刻部門の中心として、本殿向拝に「三頭八方睨みの竜」を彫りました。丸彫りという、一本の丸い材木を竜の姿に彫りあげたものを梁に用いており、向拝の柱の頭に近い部分を荒れ狂う波にみたて、竜が天空に昇ろうとする光景を彫り上げています。縫之助が手がけた寺社彫刻は、石岡市板敷山大覚寺や大洗町磯前神社など、県内外の寺社に数多く残されています。明治10年(1877)、縫之助は第1回内国勧業博覧会(東京・上野公園)に「獅猊」という獅子の彫り物を出品し、花紋賞を受賞しました。この後、内務卿大久保利通の名で、縫之助は花紋賞銅メダルと「縫殿之助」の称号を与えられました。貴船神社本殿の竜の彫刻は、古社名刹の彫刻を手がけた後藤縫之助の作品の一つとして、現在まで大切に受け継がれています。