ブックタイトル広報つちうら 2016年12月上旬号 No.1184

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概要

広報つちうら 2016年12月上旬号 No.1184

11広報つちうら2016.12.13世紀後半、弥生時代終末から古墳時代初め頃は、列島規模で人や土器の移動、交流が盛んであった時代です。特に東日本へは、東海地方や北陸地方から多くの人や土器が動きました。土浦周辺においても、千葉県や大宮台地など南関東方面の土器が発見されていることから、その地方の人たちが移動してきたことが分かります。これらの土器に混じって、東海地方や北陸地方との関連をうかがわせる土器も多数発見されています。上高津新町の寄よりい居遺跡からは、北陸南西部地方(石川県・福井県)の土器が発見されました(写真1)。この土器は口の小さな壺の蓋ふたですが、つまみがつけられ表面は赤く塗られています。回りは破損していますが、直径8センチ程度と推測されます。この土器は形や素材の質から、北陸地方で作られたものが土浦にもたらされたと思われます。北陸地方からもたらされた土器―人と土器が動く時代、3世紀―このように他地域の土器が発見された場合、いくつかの理由が考えられます。ひとつは土器やモノのみが運ばれた場合です。これは変わった形の土器を入手したので持ち帰った、あるいはその地方の人がお土産として持ってきたことが考えられます。主にきれいな土器や、変わった形の土器が対象になりました。ほかに考えられるのが、人と一緒に土器が移動した場合です。発見された土器が甕かめや壺つぼ、椀わん・高たかつき杯類のような生活必需品の場合、家族で移住するために家財道具を持って移動した、あるいは婚姻などで土器を持参したなどが考えられます。寄居遺跡の例は、発見された土器が少ないため、残念ながらどちらのパターンなのか判断できません。市内出土の北陸南西部地方の土器は寄居遺跡の1点のみですが、北陸でも北東部地方(新潟県・富山県)の特徴を持つ土器は多数発見されています。しかし、オリジナルの形とはやや異なっています。霞ケ岡町の東ひがしたに谷遺跡からは、口縁部の特徴が非常に良く似た甕が発見されました(写真2)。底の作りが北陸地方には無い形なので、この地方の土器を知っている人が土浦で作ったものと考えられます。口縁の部分がオリジナルを忠実に模倣していることから、北陸北東部地方からの移住者によって作られたのかもしれません。このほか常名の北きたにしはら西原遺跡・神しんめい明遺跡からも、北陸北東部地方の特徴をもつ土器が多数発見されており、この時代の活発であった人や土器の動きをうかがうことができます。今回紹介した土器は、上高津貝塚ふるさと歴史の広場にて今月末まで展示しています。ぜひご覧ください。問上高津貝塚ふるさと歴史の広場(?826・7111)137▲写真1北陸南西部の土器(寄居遺跡)▲写真2北陸北東部の影響を受けた土器(東谷遺跡)11広報つちうら2016.12.1