ブックタイトル広報いしおか 2016年12月1日号 No.268
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広報いしおか 2016年12月1日号 No.268
ジオパーク岩屑が流れ出した山麓が見え、筑波山の成り立ちがうかがえる。女体山から下れば筑波高原キャンプ場を経てつつじヶ丘に戻ることができる。かつての氷河期を教えてくれるブナの森を、スズタケをくぐって下ると、南面と違って常緑広葉樹が少ないことに気づく。防火帯跡(?)はスズタケもない森で、春にはカタクリなどを鑑賞できる。キャンプ場から東はなだらかな林道が続く。林道沿いに指で容易に崩せる風化した花こう岩が見える(?)。鎖をくぐって林道を進み、路傍の野草を楽しみながら歩く。林道の終点からは再び山道だ。最初の沢は尾根由来の白っぽい岩が多い。広い斜面は大きな岩塊がたくさんあり、尾根から崩れてきた岩塊が緩斜面を作っていることがわかる(?)。この斜面は国民宿舎の建つ斜面に続く。最後の沢の石は黒っぽいものが多い。岩塊や土で覆われた筑波山の内部を暗示する情報だ。明治末からの植林がある森林総合研究所の試験林()では様々な林業の実験が行われている。林道の終点の静かな林からは、すぐに賑わうつつじヶ丘駐車場に至る。第8回(最終回)ふるさとの山に抱かれて▲筑波山案内図いしおかの大地を歩く江戸時代に幕府の援助が入ると、南側の北条からの道が栄えるが、西の椎尾、北の羽鳥、東の小幡の登り口があり、古代は国府に向いた小幡が正面だった。筑波山の山裾にかかる十三塚(?)は風返峠を越える街道の宿場で、小幡宿を補った。筑波山周辺には冬に山腹が温暖な所があり、現在は斜面の集落の周囲は果樹で名高く、カキやミカンが栽培される。十三塚は冷えた空気が谷底に溜まり気温が下がるためリンゴの栽培も可能な珍しい場所である。風返峠(?)までは白い花こう岩が露出する。つつじヶ丘へのループ橋は急な斜面に道をつける工夫で、この上は硬いはんれい岩の分布域となる。つつじヶ丘からはロープウェイで6分で山頂に至る。登山道をたどれば、駐車場を見下ろす頃には割れ目が目立つ黒っぽい岩石がある(?)。周囲は茅場の名残で草原性の野草が多い。サワラの植林地、シデの森をたどると弁慶茶屋跡(?)に出る。この辺りは中世の聖天院跡だ。落ちそうで落ちない弁慶七戻りをくぐると山頂への道である。江戸時代の筑波詣では、現在の筑波山神社の位置にあった中禅寺を参拝してから山頂で二神を拝し、神仏世界を模す奇岩を巡って胎内くぐりで生まれ変われば、神住む高天原。石門とも呼ばれた弁慶七戻りをくぐれは俗世に戻る道、いわば神仏世界のテーマパークであった。七戻りや胎内くぐり周辺の岩は妙に白い。これは白い鉱物(長石)がたいへん多いはんれい岩で、鉱物も粗く岩に大ぶりの割れ目が入る。女体山まで似た岩石が続き、岩塊が割れ目でずり落ちて様々な奇岩を作っている。長石が多い岩はやや軟質で登山者の靴底で岩角が丸くなる。女体山頂(?)では広大な関東平野と遠くの山々、八郷盆地を囲む筑波山地域の眺望が楽しめる。相対する男体山(?)は黒い鉱物が多く、より鉱物が細かく割れ目も密に入る。岩角が立って山も険しい。女体山から望めば岩が作る山頂、岩塊が重なる山腹、10祝・筑波山地域ジオパーク!霞ヶ浦と共に、郷土の象徴として筑波山は校歌に広く歌われる。万葉の昔以前から、人々の心をとらえ、二つの山頂が男女一対の神とされたのもごく自然のことなのだろう。また見る場所によりその姿を変えることも魅力の一つである。文:環境省委嘱自然公園指導員矢野徳也19広報いしおか12月1日号№268