ブックタイトル広報かすみがうら 2016年11月号 No.140

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概要

広報かすみがうら 2016年11月号 No.140

12かすみがうら文芸ひろば詠歌の紹介千代田俳句同好会朝冷えや神のあたたむ井戸の水榊原清志山裾の続く田鷺歩む桜井愛子つつましく紅うつすらと四季桜桜井筑蛙店頭につかみどころのなき冬瓜中島暉子たわわなる柿無視さるる世が世かな萩原初枝出島短歌会ははそはの母のてのひら新キャベツなつかしきかな里のキッチン飯島ヒロエ寒き雨降る踏切を渡りゆく跨ぎしレールの光は青し岡田恭子秋湿り孤独な風に引きずられただに急しく月日は移る名倉子ハロウィーンのかぼちゃ火ともる月曜日誰に似し笑みまぬけなお化け浜田留子投稿作品年老いて学びの心薄らぎて読書の秋に我を省み石塚清秋日和妹と交わす歌談義刻を忘れて西日傾く沽野はつ子手をとりて十歳の我に励むこと諭せし恩師よ白菊添える中島良平「考いる葦」も「風にそよぐ葦」も同じか等と無爲徒食なり湖辺り散策菅谷咊子人の波人生衣見るように少し離れて休む止り木吉田正道柚子風呂に幸せほのか冬至の日扶美世▼投稿作品(俳句・短歌・川柳)を募集しています。12月1日木までに情報広報課(〒300-0192大和田562番地)へお願いします。なお、応募多数な場合には掲載されない場合がありますのでご了承ください。青見紫陽花俳句会炊きたてに新米の幸さちかみしめる飯田功むかご飯戦なき国孫と食む田能幸雄赤く燃え横なぐりの雨万まんじゅしゃげ寿沙華萩原とし子電線に一点激し鵙もづ鳴けリ福田宏通禾魚日市民学芸員が行くシリーズ?わがふるさと史宝をたずねて霞ケ浦の風物詩帆引き船物語発明のきっかけ帆引き網漁法は、明治13年に折本良平によって発明されました。良平が漁を手伝っていたころは、大徳網漁が一般的な漁法で、網元が14、15名の引き子を雇い漁を行っていました。その収入を人数で割っていたため収入も少なく苦しい生活だったようです。良平は、少人数でもたくさんの漁獲が上げられる漁法をいつも考えていました。風力の利用良平は、高瀬舟や小型帆掛け船を動かす風の力で網を引けないだろうかと考えたようです。サッパ船に帆を揚げ、その先に網をつなげてみました。しかし、網を引くことができるけれど、舟が湖上で安定しない上、うまいように魚が網に入っていきません。そこで良平は、風を受けて空に舞う凧を見て、帆を凧のように空中に吊り上げるようにしたら転覆を防げるかもしれないと思い、帆と網とを繋げる縄を工夫して、帆の上方に当たるようにしてみました。そうすることで魚が入る網の口を立体的に開くことができ、たくさんの魚が捕獲できるようになるとともに、舟が横向きに安定して流れるようになりました。帆引き船のしくみ帆引き船は、船の大きさに比べ大きな帆を利用しています。特に横幅は船体のほぼ2倍で、1反の布を3枚合わせて細長い1枚の布を作り、この布を14~16枚繋げて1枚の帆とします。布と布はロープでたすき状に絡めてあります。帆全体で風を受けると半球に近い形に膨らみ、1枚1枚の布も半球形に膨らむよう工夫されています。帆の膨らみは、風の力を逃がしにくくする効果があり、風力を効率よく利用することができるものとなりました。霞ケ浦の風物詩の再現折本良平の発明から幾度となく改良され、明治35年ごろには、サッパ船からチョキ船(みよし船)に変化していきました。帆引き船が最も多かったのは昭和20~30年代で霞ケ浦・北浦と合計900艘にも達し、それはまさに霞ケ浦の風物詩になったのです。また、帆引き船は、平成26年には市指定文化財に指定されました。帆引き船はかすみがうら市が発祥地です。大切な観光資源です。有効に活用し歩崎周辺を活性化させましょう。(深井征一郎)問郷土資料館?029(896)0017