ブックタイトル広報いしおか 2016年11月1日号 No.266

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概要

広報いしおか 2016年11月1日号 No.266

ていて、川又と同様、このような地形が盆地内の低地を守ってくれていることがわかる。宇治会から上流は西や北の山からの沢水を集めている。恋瀬川は大増の西側の山々が源流で、板敷峠の古代道や古刹大覚寺(?)がある。主に花こう岩からなる山々が恋瀬川を流れる水と泥砂のふるさとだ。百目鬼橋の北側で瓦谷からの稲荷川が合わさる。川の東側の丘陵は30万年前の八郷湾時代の砂の層でできている。上流の山は多くが変成岩で、山ふところを入ると鳴滝()がある。黒っぽい変成岩の層が急角度で立っており、層が細かく段を作って軽やかな音を立てて沢水が流れ落ちている。山を東に越えれば馬滝()。こちらは変成岩の割れ目が滝を作っている。馬滝の水はもう一つの河川、園部川に流れていく。二つの滝の南には国府を支えた瓦窯跡の瓦塚遺跡()がある。文:環境省委嘱自然公園指導員矢野徳也ジオパーク第7回ふるさとの川探検(恋瀬川流域)▲恋瀬川流域案内図2億年をさかのぼる石岡市の大地の物語を訪ねる歩き書きのシリーズ。全8回の掲載です。いしおかの大地を歩く恋瀬川は八郷盆地から高浜入に注ぐ。この規模の川で源流から河口までが、ほぼ全て一市内に収まるという例は県内でも数少ない。川沿いには恋瀬川サイクリングロードがあるので自転車で上流までたどることも可能だ。河口は以前紹介した高浜(?)にある。湖より川幅は狭いものの谷幅は大差ない。縄文時代の入江を恋瀬川の砂泥が埋めた地形で、今でも川がせっせと高浜入を埋め続けている。平和橋(?)から上流は粗い砂が溜まって浅くなっていて、そのすぐ上流では天の川と合流している。水田の中にある府中橋(?)辺りから上流は、川の流れが大きく蛇行していたが、今は河川改修で直線になった。高速道路をくぐった粟田橋(?)では、流れは緩やかにうねり、川岸に粗い砂が河原を作る。上流の左側の志筑の田んぼは、奈良時代に計画的に整備した条里水田の跡であり、万葉集に「しづくの田井」と歌われる場所だ。五ごりんどう輪堂橋(?)辺りにはかつて河岸があり、高浜方面に舟が通っていて、八郷盆地の物資の集散地であった。大正時代に初めて路線バスが通じたときは柿岡―半田の運行で、河岸から舟で高浜方面に向かっていた。上流の川又(?)で変成岩の岩盤が露出し川幅が狭く急流となっていたため、高瀬舟は上流には行けない。川又川の合流部付近では今でも雨が降ると上流の水が滞る。平成26、27年の洪水は記憶に新しい。中世の片野城は排水の悪い土地を外堀にしていたという。根小屋から上林にかけての広い田の中にあるまっすぐな道は「汽車道(?)」と呼ばれる。石材などの輸送を担うことを期待されて、昭和の初め建設中に頓挫した加波山鉄道の夢の跡である。八郷庁舎北側の丸山古墳のある丘の西、百ざわめき目鬼橋(?)は両岸が変成岩で狭く急流で、その下流までしか小舟も入らず高友に河岸が設けられた。上流は再び広い田になっ祝・筑波山地域ジオパーク!ジオパーク(Geo Park)の「ジオ(Geo)」は、「大地」という意味。貴重な地形や美しい景観を次世代に残していくために、活動しています。10111221広報いしおか11月1日号№266ジオパーク