ブックタイトル広報つちうら 2016年10月上旬号 No.1180

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広報つちうら 2016年10月上旬号 No.1180

(?826・7111)問上高津貝塚ふるさと歴史の広場コメの痕拡大ご覧ください1.縄文土器(上高津貝塚)の常設展示室にて展示中です。ぜひ2.製塩土器(神立平遺跡)3.弥生土器(原田北遺跡)今回ご紹介した資料は考古資料館たな発見が生まれるかもしれません。これらの資料の再検討によって、新考古資料が収蔵されていることから、は、これまで調査されてきた豊富な実が明らかになっています。当館に網目の模式図(飛びござ目)葉脈の痕跡から想定した木の葉の図栽培されていたことなど、新たな事の手法によって、縄文時代にマメが観察する手法が開発されました。こンを流し込んで型取りし、顕微鏡で近年では、こうした圧痕にシリコされているのです。だものです。土器製作の際、コース大きな葉っぱの裏面に粘土をのせ証拠です。底には、失われてしまった情報が残を、「飛びござ目」という技法で組んかれする細い葉脈が確認できます。土浦市でもっとも古い、米づくりのてきました。普段は見えない土器の敷物はおそらく、幅2~3ミリの竹ヒゴほどの太い葉脈と、そこから枝分たま下敷きになったのでしょうか。物の技術や、食べ物について研究しの跡がくっきりとついています。このいるため分かりづらいですが、2ミリできます。土器づくりの際に、たま土器底部圧痕に注目し、当時の編み時代後期前葉~中葉の土器で、敷物(製塩土器)です。半分以上が欠けて籾殻がついた状態のコメの痕が確認で、考古学では古くから、こうした1は上高津貝塚から出土した縄文文時代晩期前葉の塩づくり専用土器時代後期の土器です。脱穀する前の、地遺跡は極めて少ないのです。そこ痕こん)が残っていることがあります。2は、神立平遺跡から出土した縄3は原田北遺跡で出土した、弥生般的な台地上の遺跡と比べて、低湿たまたま下敷きになったモノの痕(圧あっ転させるためにも役立ちます。でしょう。は、植物質の遺物が残りますが、一器づくりの際に敷いてあった敷物や、また、模様付けなどの際に、土器を回を回転させることを考慮していたの地の遺跡で水漬けになっている場合いました。こうした土器の底には、土くっつかないようにしたのでしょう。側にしていることから、やはり土器で、なかなか残っていません。低湿もっぱら土器を用いて煮炊きをしてます。つくりかけの土器が、地面に葉っぱのつるつるした面(表)を地面質の遺物は、ふつう腐ってしまうの大昔、縄文時代や弥生時代には、ターのように底に敷いたと考えられて、土器の製作を行ったのでしょう。編み物や葉っぱ、コメなどの植物―土器底部圧痕―135土器の底からわかること■発行土浦市〒300-8686土浦市大和町9番1号?029-826- 1111E-mail info@city.tsuchiura.lg.jpHPhttp://www.city.tsuchiura.lg.jp/スマートフォン用ホームページ▲■編集市長公室広報広聴課■発行日平成28年10月4日■人口と世帯数14万0310人5万7766世帯(平成28年9月1日現在)この広報紙は環境に配慮し、再生紙・植物油インキを使用しています。次回「広報つちうら」10月中旬号は、10月18日(火)発行予定です。