ブックタイトル広報みと 2016年10月1日号 No.1391

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広報みと 2016年10月1日号 No.1391

水戸市の人口人口…271,081人(男132,896人、女138,185人)世帯数…118,853世帯-平成28年9月1日現在(平成27年国勢調査速報値基準)-【編集】みとの魅力発信課?029・232・9107029・224・5188kouhou@city.mito.lg.jp広報みと平成28年10月1日号第1391号【発行】水戸市?029・224・1111(代表)〒310~8610水戸市中央1~4~1日本遺産ものがたり―近世日本の教育遺産群―19世紀のヨーロッパで流行した日本趣味のことを「ジャポニズム」という。葛かつしかほくさい飾北斎の風景画や、東とうしゅうさいしゃらく洲斎写楽の浮世絵で有名な「錦絵」と呼ばれる鮮やかな版画が人気を博し、ゴッホをはじめ、西洋芸術界にも大きな影響を及ぼした。実はこのジャポニズムには、江戸の教育が生んだ「文ぶんじん人」と呼ばれる人々の活動が基盤にあった。そこで今回は文人について紹介したい。文人とは、江戸時代の知識人のことである。幕府は、原則として学びたい科目に制限を設けなかったため、人々は熱意さえあれば、何でも学ぶことができた。そのため儒学はもちろん、国学、洋学、医学などが盛んに学ばれ、身分を超えて多くの文人が生まれたのである。文人たちは、江戸時代の学問をリードしたばかりではない。彼らの向学心は芸術文化にまで及び、江戸時代中頃から、文人たちによる文化活動が花開いた。絵画や文学など、芸術のジャンルは多岐に及ぶが、特に彼らが好んだジャンルの一つに漢詩がある。漢詩は、芸術であるとともに、教育科目ともみなされていたことから、多くの教育者が漢詩を詠み、詩集を刊行したのである。日本遺産「近世日本の教育遺産群」の構成文化財に、日本最大の私塾・咸かんぎえん宜園(大分県日田市)と、北関東最大の私塾・日新塾(水戸市成沢町)の二つの教育遺産がある。咸宜園は広ひろせたんそう瀬淡窓が、日新塾は加かくらいさざん倉井砂山が塾主となったが、この二人に共通するのも漢詩である。淡窓は江戸時代後期の三大漢詩人の一人と評されている。彼の温厚な人柄が表れた漢詩の数々は全国の文人に愛された。咸宜園の一角に建てられた書斎・遠えんしろう思楼の名を冠した漢詩集『遠思楼詩ししょう抄』はベストセラーとなり、明治時代になっても発行され続けたほどだった。砂山も当時の水戸藩を代表する詩人の一人である。『大日本史』編さん事業以来、学問に力を入れていた水戸藩は、優れた文人を多く輩出した土地柄である。こうした中、偕楽園で催された宴において砂山の漢詩が最高評価を得るなど、彼の詩と人柄は藩主から庶民に至るまで幅広く愛され、日新塾も発展していったのである。淡窓や砂山に限らず、全国の文人たちは自らの作品を出版し世に広めようとしたため、版画(摺すりもの物)の技術が飛躍的に進化した。多色刷り版画である錦絵は、実は文人たちが考案したものなのだ。こうして江戸時代の教育を支えた文人たちの文芸活動はやがて海を渡り、ジャポニズムとして世界進出を果たしていったのである。水戸市歴史文化財課関口慶久文人たちの世界第7話日本遺産に認定された「近世日本の教育遺産群―学ぶ心・礼節の本源―」の歴史的魅力を語る「日本遺産ものがたり」。今回のキーワードは「文人」です。日本遺産構成文化財咸宜園内遠思楼(大分県日田市)日本遺産構成文化財日新塾跡(成沢町)