ブックタイトル広報龍ケ崎りゅうほー 2016年9月後半号 No.754

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概要

広報龍ケ崎りゅうほー 2016年9月後半号 No.754

いくつご存知ですか?龍ケ崎市指定文化財を紹介します!いくつご存知ですか?■問い合わせ:生涯学習課市民学習推進グループ?内線2341 2 3指定文化財とは、行政機関により「歴史的・文化的な価値が高く、現状を保存して後世に継承すべきものである」と認められた、いわばその地域の“宝”と呼ぶべき存在です。平成28年9月現在、龍ケ崎市では全部で17の物件が「市指定文化財」として指定されています。ここでは、それらを順次紹介していきます。ぜひ“わがまちのお宝”を訪ね、ご自身の目でご覧になってみてはいかがでしょうか。※通常は一般公開されていないものもありますのでご注意ください1道標(どうひょう)【種別】史跡【所在地】若柴町3135【管理者】龍ケ崎市2仙台領柱(せんだいりょうちゅう)【種別】歴史資料【所在地】馴馬町2488【管理者】龍ケ崎市馴柴小学校の北東隅にある石柱で、今から190年ほど前の文政9年(1826年)に建立されました。水戸街道沿いで旅人が迷いやすい三差路に設けられ、「水戸16里」「江戸13里」「布川3里」と、それぞれの場所への距離が刻まれており、現在でいうところの案内標識の役割を果たすものでした(1里は約3.9km)。かつて、徒歩による往来が盛んで、若柴地区が水戸街道の宿場であった時代をしのばせる史跡です。龍ケ崎は、かつて伊達政宗が藩主を務めた仙台藩の領地でした。現在の龍ケ崎小学校正門前の辺りには、幕末までの間、政務を行うための陣屋が置かれていました。この「仙臺領」と刻まれた石柱は、龍ケ崎の知行地の四隅に領域を示すために設置された標柱と考えられるもので、布川(利根町)から龍ケ崎村に入る米町の木戸境や、砂町の東端などに建てられていたとされています。4基のうち、現存しているものは歴史民俗資料館に保存されている2基のみとなっています。3十一面観音像(じゅういちめんかんのんぞう)【種別】彫刻【所在地】小通幸谷町7-1【管理者】慈眼院小貝川のほとり、文巻橋の近くにある清水山慈眼院の本尊であり、恵心阿闍梨の作とされていますが、詳細は不明です。天慶年間(938~947年)に平貞盛が父・国香の菩提を弔い、自領の民心を安定させるために、川原代に安楽寺を、小通の川岸に観音堂を建立したのが小通幸谷の十一面観音の始まりとされています。十一面観音は眼病に霊験があると信じられ、かつては境内もたいへん広く、遠方からの参詣者や参観者が多かったといわれています。※通常は一般公開されていません平成28年9月後半号-10-