ブックタイトル広報なか 2016年9月号 No.140
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広報なか 2016年9月号 No.140
岩手県釜石市からお届けします~釜石通信~こんにちは。4月から那珂市の再任用職員として釜石市に派遣されている車田豊です。私の住んでいる仮設住宅の周辺も、だいぶ整備が進んできました。さて、今回は釜石市の世界遺産についてお知らせしたいと思います。まず、なぜ釜石市に製鉄所ができたのかを理解するには「橋野鉄鉱山高炉跡」を見に行くことが一番です。釜石市内から30km以上、車で1時間弱、清流沿いの山間の道を進むと、その高炉跡があります。インフォメーションセンターに行くと、釜石の鉄の歴史が展示されています。常駐するボランティアガイドの話を聞くと、なるほど、鉄をつくるというのは相当の知恵と労力が必要であったことが理解できます。太古の昔からあった「たたら製鉄」と江戸時代末期から明治中期に興った橋野鉱山様式高炉の製鉄技術の違いについて良く説明してもらえます。おおしまたかとう釜石製鉄の父といわれる南部藩の大島高任は、徳川斉昭しょうへいに招聘され那珂湊の反射炉を作った人でしたが、砂鉄を原料とする反射炉では良質の鉄ができなかったことから、豊富な鉄鉱石が採れる釜石の山中で、鉄鉱石を使った洋式高炉を作りました。これが明治以降、官営から民営に移行され、鉄のまち釜石が形成されるようになったのです。製鉄は日本の発展を支えた産業の米と言われています。このため、その重要性が評価され、一見地味な「橋野鉄鉱山高炉跡」は「明治日本の産業革命遺産」となったのです。釜石市は、北九州市と「北九州市・釜石市連携協力協定」を締結しており、また愛知県東海市とは鉄でのつながりから姉妹都市となっています。鉄の本家は釜石市ということなのかもしれません。釜石市は観光のまちと言えるようなものは少ないですが、三陸沿岸の中核となるまちとして、釜石大観音、鉄の歴史館、季節限定のSL銀河、イベントとしては「釜石まつり」、「釜石よいさ」など見どころもたくさんあり、また、海の幸も豊富です。皆さん、釜石市にいらした際には、「橋野鉄鉱山高炉跡」とともにさまざまな釜石市の名所やグルメをお楽しみください。釜石よいさと、山車の囃はしや手を乗せた上の部分かもしれません。をくぐり抜けた山車が社殿へと進むニティというのは、そういうものなのた。そこで掛け声と共に一気に鳥居次の新しい那珂市を作る、案外コミュり、神社への繰り込みが始まりましるかもしれません。古くからの祭りが回っていると、次第に夕暮れ時となることで地域に溶け込むきっかけにな徴のある山車を写真に収めながら新たに移り住んだ人が祭りに参加すムを奏でていました。それぞれに特うと思うこともあるでしょう。また、上で太鼓と笛、踊り手が軽快なリズれても、祭りがあるから地元に戻ろ山車が法はっ被ぴ姿の男衆に引かれ、その加した子どもが大きくなり地元を離の提ちょうちん灯を付けた事なことだと思います。お祭りに参りの飾りと沢山えて行くことは地域にとってとても大うか。色とりど古くから伝わる祭りをこうして伝だったのでしょ日は終わりを迎えました。り始めたところになっていき、3年に1度の祭りの山車が町内を回と、賑やかだった境内は次第に静かり、地区ごとのつ、また一つと町内に戻っていくに花火が上が一際高く炎が上がった後、山車が一ちょうど3時り、神事の後に提ちょうちん灯が火にくべられこえる方に自転車を走らせました。すべての山車の繰り込みが終わ荷物の整理を後にして、お囃はや子しの聞ました。のお祭り好きの性格には逆らえず、思議な光景に思えた月ばか15日り、ちでょしうたどがお、盆小のさ帰な省こかろらか戻らっまって、とても不るお囃はや子しの音と相の練習の音です。その本番となる8れいで、奏でられこえ始めました。菅谷まつりの太鼓る灯りがとてもきと、どこからともなく太鼓の音が聞火が入ると、揺れ…8月に入るころ、夕暮れ時になるが暗くなり提ちょうちん灯にドントトドンドン、ドントトドンんでしたし、辺りている中村元です。のはこれまで見たことがありませ手市役所から那珂市役所へ派遣されかされました。回る山車というもこんにちは、友好都市の秋田県横がグルグルと回り始めたことに驚中村の「なかなかいい」那珂暮らし4~秋田県横手市から参りました~17広報なか9月号