ブックタイトル広報みほ 2016年9月号 No.654
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広報みほ 2016年9月号 No.654
非核平和美浦村宣言推進協議会広島平和記念式典派遣事業広島平和記念式典に参列する機会を頂きました。一発の原爆により一瞬にして14万の命が奪われ、今も後遺症に苦しむ方がたくさんいるということを知り、痛感いたしました。印象深かったのは、被爆者の体験講話です。『生きていて地獄を見た』原爆は、一瞬で地獄をつくってしまうということです。講話を聞き、原爆の恐ろしさを知りました。依然として、この世界には広島・長崎に落とされた原子爆弾の威力をはるかに上回る核兵器が、たくさん存在しています。この世界が少しでも平和に近付き、核兵器がなくなることを願っています。《美浦村区長会会長根本正則》僕は、初めて広島に行き、被爆者体験講話、平和記念資料館で知って驚いたことは、一つの原子爆弾で約14万人もの人が亡くなったことです。上空約600メートルで爆発して、半径2キロメートル以内が破壊されました。温度は3千度から4千度でした。想像のつかない熱さです。1キロメートル以内で放射線を浴びた人は、ほとんど亡くなりました。放射線は恐ろしいものだと思いました。僕は、こんなに恐ろしい戦争を二度と起こさないように、このことを伝えていきたいと思います。《安中小学校6年糸賀稀吏》米国が人類史上初めて戦争で核兵器を使った「あの日」から71年の8月6日。私は初めて広島平和記念式典に参列させていただきました。原爆ドームや平和記念資料館見学、被爆体験講話、平和記念式典に参列し、自分の目と耳で被爆地を感じてきました。「あの日」から71年がたった現在も、世界から核兵器が未だに廃絶されていないのが現状です。唯一の戦争被爆国として世界に伝えねばならないことがあり、子ども達の未来を壊さぬように、核廃絶のため、更なる行動が大切だと思いました。ヒロシマを忘れない。このような機会を頂けたことに深く感謝いたします。《安中小学校保護者糸賀尚紀》僕は、初めて広島に行きました。たった一つの原爆で、建物等は押しつぶされたり吹き飛ばされたりしてなくなり、爆心地は3千度以上になって、人や建物が一瞬で燃えてなくなったそうです。家の下敷きになったり、火傷で皮膚が溶けておばけのようになって死んだ人がたくさんいました。そういう人の人形や、写真や、ぼろぼろになって血が付いたままの服等をたくさん見ました。僕は戦争を知りません。でも、広島に行って原爆の恐ろしさが分かり、こんな悲しいことがもう起こらないように、原爆や戦争が世界中からなくなればいいと思いました。《大谷小学校6年岡村雄大》「まさに地獄そのものだった」と、当時19歳で被爆した新宅さんは言いました。平和記念資料館には、思わず目を背けたくなるような遺品や写真等がたくさん展示されていて、写真からは苦しみの声が聞こえてくるようでした。一瞬にして14万人もの命を奪い、多くの人の心に傷を残したのは、たった一つの原子爆弾でした。今、世界に1万5千発を超える核兵器が存在するそうです。この悲劇が二度と起こらないよう一日でも早く世界中から戦争が、核兵器がなくなり、平和な世界になるよう願っています。今回、このような貴重な経験をさせていただきありがとうございました。《大谷小学校保護者岡村博美》僕は、広島で戦争や平和についてたくさんの事を学び考えました。特に印象に残っているのは被爆者体験講話で、現在90歳の新宅さんが原爆投下直後の状況を語ってくれました。原爆の熱風で皮膚や肉がはぎとられ、人が人の姿でなくなっていく地獄のような光景だったと聞き、原爆でどのように人が死んでいったのか。そして、生き残った人のつらい思いを知ることができました。今、僕に出来ることは、未来に戦争のことを伝えることなので、この体験を決して無駄にしないようにします。この世から核兵器を無くし、ずっとずっと平和な世の中を願っています。《木原小学校6年石川優太朗》平和記念式典に孫と参加し、戦争の凄惨さ、核兵器の恐ろしさ、平和の尊さについて一緒に考えることができました。あの日から71年、今年5月に初めてオバマ大統領が被爆地広島訪問を果たした年でもあります。謝罪の言葉はなかったものの、多くの国民は好意的に受け止めたと思います。平和宣言ではオバマ氏の演説のうち「核兵器を保有する国々は核兵器のない世界を追求する勇気を持たなければならない」と訴えました。戦争を知らない世代が多い中、悲惨な過去を決して風化させることなく、語り継がなければならないと決意を新たにしました。《木原小学校保護者石川修》7広報みほ平成28年9月号