ブックタイトル広報なか 2016年8月号 No.139
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広報なか 2016年8月号 No.139
環境問題とわたしたちの責任わたしたちは、現在多くの環境問題に直面しています。さまざまなごみにかかわる問題、少なくなりつつある地球資源、深刻化しつつある気候変動(地球温暖化)、失われていく生物多様性などです。またこうした問題から派生する、命にかかわる住や食、水や資源、防災などの問題も生じています。わたしたちはこうした環境問題にどう向き合ったらよいでしょうか。国内において環境問題が生じた歴史を振り返り、考えてみましょう。◆江戸時代は循環型社会だった江戸時代の環境問題といえば、ごみ問題です。ごみといってもわたしたちが今ごみとして排出している食品容器やビニール袋などのプラスチック類、ガラス類などではなく、家庭から出る生ごみと、かまどなどから出る灰がほとんどでした。生ごみはもともと家の周りの空き地や畑などに捨てられていましたが、家々が密集し空地がなくなってくると衛生上の問題が出てきたため、公設のごみ捨て場を市街地のほかに10か所以上指定してごみを集中的に埋立てるようになりました。ごみは請負人(行政)によって収集・運搬・処理されました。かまどなどから出る灰は、灰買いという回収の専門業者がおり、おもに近隣の農家に買われ、肥料として使用されました。紙類や金属類、陶磁器類がごみとして排出されることはほとんどありませんでした。なぜなら、紙類や金属類は、古物商による取引ルートが形成されていたからです。たとえば、紙類は、紙屑買いや紙屑拾いなどの回収専門業者がおり、紙すき業者が再利用していました。また、壊れた陶磁器は瀬戸物の焼き継ぎという専門業者が再生・修理し、ほとんどが再使用されていました。し尿の処理・処分も大きな問題でしたが、当時は各家庭に肥だめがあり、肥料として自家消費または、農家が買い取ったり、行政によって農地に還元されていたようです。わがまちの環境を考える江戸時代は、リサイクル・リユースとともに、リデュースも行われていた循環型社会だったのです。◆「環境」という言葉は公害問題(工場)がきっかけ出典:環境省公害とは、企業活動などにより、環境が破壊され、人の健康や生活環境に被害が生じることをいいます。大気汚染、水質汚濁、土壌汚染、騒音、振動、悪臭、地盤沈下が典型7公害と呼ばれています。日本経済は、1965年~1973年の第1次石油危機(オイルショック)まで、高度経済成長を続けました。この時期、企業はおもに経済性を追求するあまり、4大公害病として知られている、イタイイタイ病、水俣病、第二水俣病、四日市ぜんそくなどをはじめとして、多くのさまざまな公害が国内各地の工場で顕在化し、深刻さを増していきました。こうした時期は1980年代まで続きました。「産業発展のためとはいえ、公害は絶対に許せない」とする国民世論が急激な高まりを見せ、公害対策が総合的に進められることとなり、とくに企業は公害対策が強く望まれるようになりました。環境問題は、加害者と被害者が不明確であり、問題は地球全体に生じます。一方、公害問題は、加害者と被害者が明らかである、問題が生じたところは特定の地域に限定される、という点で環境問題とは異なります。日本では公害問題が起こって初めて、「環境」という言葉が使われるようになり、環境に対する意識が高まりました。環境問題が顕在化したのは、1990年代に入ってからで、1993年にやっと「環境基本法」が制定され、環境の保全に関する法律が整備されました。8