ブックタイトル広報かさま 2016年8月号 vol.125

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概要

広報かさま 2016年8月号 vol.125

笠間駅の北側に位置する稲荷町には、鎌倉時代、笠間時ときとも朝の笠間城築城にあたり、佐白山から阿あ武ぶ権ごんげん現と黒くろばかま袴権現が移されました。この地が今の「近森稲荷神社」です。かつては明治元年(一八七二)の神仏分離により、阿武権現はもとの佐白山の佐志能神社に移されましたが、黒袴権現は戻されませんでした。これは、黒袴権現がどういう神なのか庶民に理解されていなかったからだといわれています。そこで、この神社は功徳明瞭な稲荷の神を合祀することになりました。この神社は、国の祭礼日「神武天皇祭」である四月三日に祭礼を行っていたことから、いつしか神武神社、俗に神じん武むさんと呼ばれるようになりました。しかし、この祭礼の日は雨天になることが多かったので、当時の明治節(十一月三日)に祭礼日を改め現在に至ります。祭礼日には「煦くろば路破瑕か魔ま権ごんげん現御ごきとう祈祷御ぎょ璽じ」「停ていしゃじょうまえちんざいなりじんじゃごきとうぎょじ車場前鎮座稲荷神社御祈祷御璽」の木版刷りのお札二枚を氏子各戸に配布するならわしになっていました。二枚目のお札は明治二十二年水戸鉄道が開通してから作られたお札です。字名「稲荷林」に駅が設けられて、新たな集落が誕生すると共に、駅前は町の表玄関と位置付けされることとなりました。笠間の観光上重要な笠間稲荷神社の信仰とも合致することから、この町は「稲荷町」と名付けられ、神社も「停車場前稲荷神社」と呼ばれるようになりました。この神社は、茨城県神社庁編「茨城県神社誌」には登載されていませんが、駅前開発とともに、稲荷町の里民だけでなく多くの人々に信仰されてきました。神社に古い寄進板が残されていて、それには笠間の中心街、大町、高橋町等の有力商工業者から受けた高額の寄進の記録が残されています。昭和三十七年(一九六二)稲荷町民の寄進によって上屋を新たに造営し、稲荷町在住の日本画家田たな中か嘉かぞ三う(日本美術院院友)からも見事な天井額絵「龍」の寄進がありました。昭和五十四年には玉たまがき垣の寄進と奉納工事例祭時に掲げる二本の幟のぼりばた旗「巍ぎぜ然ん神しん威ぎ赫か々か氏子中」が町民有志より寄進され、さらに幟旗支柱石一対と社前の御みたらし手洗石が町内の大島石材店より寄贈されました。昭和六十一年、奉殿上屋の増改築工事を機に、区民の合議によって神社の周辺が小字名近森であることから、神社は「近森稲荷神社」と改名されました。この神社の遊園地は借地でしたが、戦時中は避難場所や畑として用いられ、戦後からは、祭礼の会場、映写会、テレビ観賞場、子ども会球技会等の練習場などとして町民に親しまれました。そこで、町内各団体が発起人となって平成三年(一九九一)一三六名の寄付によってこの土地を購入しました。平成四年には「神社由来記」が建立され、その石碑には多数の寄付者が載っており、信仰の広がりがわかります。このように、近森稲荷神社は町民から愛された神社です。町民こぞってわが町の氏神として、今後も敬愛し、後世に引き継ぐことを誓っているようです。(市史研究員能のうじま島清きよみつ光)笠間の歴史探訪31近森稲荷神社近森稲荷神社児童・生徒の運動器検診―家族・学校・医師がチームで育む生涯の健康―笠間市立病院院長石いしつか塚恒つね夫お市立病院の医療コラム52平成28年度より、小・中・高校の学校健診で運動器検診が導入されました。すでに昭和53年から脊柱・胸郭の検診は含まれていましたが、骨・関節・四肢の検診も必須化されました。背景には、小児の身体の二極化があります。運動過多により四肢・脊柱のスポーツ障害を起こす子と、運動不足により肥満・生活習慣病を発症する子がいるのです。体格(身長、体重など)は増加しても、運動機能(50m走、ボール投げなど)は昭和60年頃をピークに低下しています。体育事故件数や骨折率なども増加しており、将来のメタボリックシンドロームやロコモティブシンドロームの増加が危惧されています。検診では、前屈位でわかりやすくなる肋骨隆起をみることで脊柱側弯の有無を調べます。さらに、片足立ち、しゃがみ込み、肩関節拳上、肘関節屈伸などの動作ができるか、痛みがあるかをみます。運動不足による運動器機能不全では、痛みはなくても片足立ちやしゃがみ込みができません。そのすべてを、健診の場で校医のみで行うのは困難です。保護者が家でやらせてみて調査票に記載したり、養護教諭が担任や体育教諭、部活顧問から、普段の姿勢や運動状況などの情報を集めたりすることが求められています。脊柱側弯症の見逃しに対し、町や校医が5000万円の損害賠償請求をされ、平成22年に900万円で和解した例がありました。校医は思春期の女子に脊柱観察はできなかったと釈明しましたが、その時期の女子に好発し、母親でも気付けない疾患なのです。早期に診断すれば装具で悪化予防が可能であり、検診は早期発見の重要な機会です。平均寿命が延伸している現代、医療・介護などの社会保障費を抑えるには健康寿命を延ばすことが大事です。運動器検診をきっかけに、みんなが運動器に関心を持つことが期待されます。そのために保護者、学校、医師がそれぞれの責任を果たし、生涯の健康を意識してチームを組むことが必要です。平成28年広報かさま8月号(vol.125)17