ブックタイトル広報いしおか 2016年6月1日号 No.256
- ページ
- 13/20
このページは 広報いしおか 2016年6月1日号 No.256 の電子ブックに掲載されている13ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
このページは 広報いしおか 2016年6月1日号 No.256 の電子ブックに掲載されている13ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
広報いしおか 2016年6月1日号 No.256
石岡駅(地図?)から中町通り(地図?)に向かうと、上り坂が続く。恋瀬川と山王川によって区切られた高台に市街地が広がっている。石岡は丘の上の平らな街なのだ。この台地の地形は、13万年前に広がっていた海を埋めた地層によって作られたもので、関東平野に広く見られる。しかし、この見慣れた石岡の風景は、全国的にはあまり見られない、特有の地形である。新潟平野、仙台平野など、多くの平野は水田となっている広い低地ばかりで台地は発達しない。低地との間の斜面は、山王川の谷に比べて、恋瀬川の方はかなり急傾斜になっている。これは前回に触れたように、縄文時代に恋瀬川の谷に入り込んだ海の波が台地を削っていたためである。石岡は奈良時代8世紀初めに常陸国府が置かれた場所である。東海道で早馬を走らせれば都からの情報が届き、近くに内湾が発達して交通も至便。高台の平らな地形は、国府を整備するには良い土地だったのだろう。国府(国指定史跡)は現在の石岡小学校付近に置かれていた。現地では地下に遺構が保存されているため何も見えないが、ふるさと歴史館(地図?)に行けば、出土物を見ながら国府や周辺遺跡の概要を学ぶことができる。国府ゆかりの常陸國總社宮(地図?)が千年後の今も鎮座している。随神像や本殿は江戸期のもので文化財に指定されている。本殿の前の拝殿は西を向いており、こちらが本来の正面になる。拝殿前の急な石段は台地の縁に当たり、社務所の西側から小道をみそぎ池の方に降りると、途中に湧水がある。よく見ると、そこから上は小石混じりの粗い砂、下は泥の層となっていて、泥層が不透水層となって地下水が湧いていることがわかる。この泥層は高浜の台地を作る地層の続きである。石岡には「府中六井」と呼ばれた泉があった。田島の小目井(地図?)や若宮の石井(地図?)が残るが、今は豊かな水はない。総社の湧水は、かつての「水が支える国府」のことを思うことができる。国府の北には国分寺跡(地図?)がある。北西にある国分尼寺跡と共に国指定特別史跡となっている。薬師堂裏には金堂や講堂の礎石が残る。西側の国分寺参道には七重塔礎石と伝えられている大きな石もある。いずれも後世に動かされていて元々の柱の位置を示さないが、さぞ立派な建物であったことが想像できる。使用されている石は、はんれい岩や花崗岩で、筑波山麓からかなりの距離を運ばなくてはならない。足を伸ばして国分尼寺跡(地図?)まで行けば、当時の寺の広大さと平らな土地を実感することができる。文環境省委嘱自然公園指導員矢野徳也第2回常陸国の首都(石岡)▲石岡付近案内図2億年をさかのぼる石岡市の大地の物語を訪ねる歩き書きのシリーズ。全8回の掲載です。目指せ!筑波山地域ジオパーク!ジオパーク(Geo Park)の「ジオ(Geo)」は、「大地」や「地球」という意味。筑波山地域6市が、連携してジオパークの認定を目指しています。いしおかの大地を歩く13広報いしおか6月1日号№256ジオパーク