ブックタイトルジオパークってなに?-常陸太田の大地の恵み-

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概要

ジオパークってなに?-常陸太田の大地の恵み-

こうして11月4日、歴史に残る「金砂城の戦い」が始まりました。頼朝はじめ以下数千の兵が、金砂城に総力戦をしかけました。現在の西金砂神社へ登ってみると分かりますが、城のあった西金砂山(405かくれきがんm地点)は「男体山火山角礫岩」と呼ばれる1500万年前の水中火山から吹き出きゅうしゅんけいこくだんがいた溶岩で構成され、ゴツゴツとした硬い山肌は急峻な渓谷と断崖を形成し、金てんけん砂城は天険の要害となっていました。けいこく山頂に布陣する秀義軍を目指し渓谷を進む頼朝の大軍ですが、絶壁の上あいろから降り注ぐ矢、石つぶてに次々に兵卒が倒されていきました。隘路を塞ぐ岩石に、人も馬も歩を進めることができません。頼朝軍からも矢を射かけますが、崖上に届く気配もありません。げき「この金砂城。あの頼朝を、退けられるかもしれない」山頂から指示と檄をとばしながら、佐竹秀義は思いました。あぐ一方、頼朝軍は、攻め倦ね、兵士たちにもかなりの疲れが見えましたが、頼朝は兵を引きません。すでに西日は傾き、東の空に月がかかりはじめました。11月5日、寅の刻(午前4時頃)、武将たちがついに頼朝に進言しました。「佐竹秀義の要塞は、とても人間の力で破れるものではないようです。しいっきとうせんかも、中にこもる兵は一騎当千の武者たちばかり、何か策を用いた方がよいのではないでしょうか」かずさのひろつねけんさくそこで、上総広常が献策します。くろうど「秀義の叔父にあたる者で、佐竹蔵人という人物がおります」ちぼう「彼は智謀にすぐれていますが、強い権力欲があります。これを利用しまぶくんとうばつしょう。武勲の賞を約束してやれば、きっと寝返り、秀義討伐にのってくるはずです」ひろつね頼朝は、広常の案を採用しました。ひろつねくろうど広常は早速、佐竹蔵人との交渉に向かいましくろうどひろつねた。蔵人に広常は「現在東国においては、皆が頼朝様にくだっているのだ。わかっているだろあらがう。秀義ひとりが抗ったって勝てはしない。味方もいない」「あなたが秀義の親族であることはわかっている。だからといってそんな戦いを一緒にする必要はないだろう?頼朝様のところへ来ないか。共に戦い秀義を討ち取れば、その領地をあなたに約束しよう。」38