ブックタイトルジオパークってなに?-常陸太田の大地の恵み-
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ジオパークってなに?-常陸太田の大地の恵み-
金砂山たつわれさん西金砂山・東金砂山は真弓山・竪破山・花園山と合わせ「常陸五山」とよばれ、山岳信仰の聖地とされています。金砂郷地区にある西金砂山は標高418m、山頂からの眺めは素晴らなりあきしく、かの徳川斉昭も「眺むれば心の隅も打ちはれてさやかに匂ふ遠の山の端」と絶唱したといいます。かくれきがん西に「男体山火山角礫岩」の絶壁がある天然の要害の地であったため、じょうかく中世期には当時の豪族・佐竹氏の城郭としても使用されていました。平安時代末期、源頼朝が伊豆で挙兵した時に、同じ源氏方でありながら、佐竹氏四代当主の秀義は出兵しなかったために、頼朝に攻め込まれました。その決戦の場所が西金砂山でした。しかし、頼朝軍は、西金砂山のはばあぐ切り立ったゴツゴツした岩に阻まれ攻め倦んだといわれています。この戦いは、のちに、金砂城の戦い(? P.37)として伝えられています。また、現在の西金砂山には自然が多く残されています。暖地性植物であるシダ類、スダジイ、カシ類、タブノキ、カゴノキや山地性の植物ブナなど多くの植物が生育しており、観察会などに適しています。さらに、最近では「西金砂登山マラソン大会」なども開催され、山あいの地形を活かした300メートルの高低差のあるコースが、ランナーかたちのチャレンジ精神を掻き立てています。また、水府地区にある東金砂山は、標高494m、西金砂山と相対してそびえる山で、ひえいざん「関東の比叡山」とも呼ばれています。西金西金砂山砂山の神であった女神が東金砂山の神に嫁いできたという伝説があります。また、この山で起こった雷は、常陸の国一帯に雨を降らせると言われ、「金砂の雷は一国の雨」ということわざがあるなど、様々な言い伝えが残されています。36