ブックタイトルジオパークってなに?-常陸太田の大地の恵み-
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ジオパークってなに?-常陸太田の大地の恵み-
常陸太田は石の宝庫常陸太田市は石の宝庫です。常陸太田市では1万4000年前の遺跡から石で作られたナイフが見つかっています。また、縄文時代(約たまめのうまがたま3500年前)の珠や古墳時代(約1500年前)の瑪瑙の勾玉が見つかっています。たつわれさんまた、茨城県北地域の東金砂山・西金砂山・真弓山・竪破山・花園山の5つの山は「常陸五山」と呼ばれ、古くから山岳信仰の対象とされてきました。常陸太田市の東金砂山・西金砂山などの地域では、江戸時代から明治時代にかけて、「町屋石」や「まだら石」などと呼ばれじゃもんがんる蛇紋岩という石を使って石仏が作られていました。これは、江戸期の技術でも彫りやすく、また風化しにくかったため、よく用いられたじゃもんがんといいます。また、蛇紋岩は水戸徳川家により一般領民は採掘禁止のおとめいし「御留石」になっていたので、石仏などの特別なものにしか使用できまじゃもんがんせんでした。もちろん蛇紋岩にかぎらず、信仰の対象となった様々な石が多数点在します。日本の最地古層にしどうひら長谷町の西堂平林道入口付近には、「コートランド岩」がみられます。おとめいしこの岩は水戸徳川家の「御留石」とされていて、瑞龍山の水戸徳川家墓所の参道敷石として用いられました。ちなみに、墓石には「町屋石」じゃもんがん(蛇紋岩)が用いられています。かんすいせき真弓山などでは「寒水石」(? P.32)とよばれる大理石がみられまなりあきす。大理石は水戸徳川家9代藩主・徳川斉昭の時代から石材として本格的に利用されたといわれています。こちらも江戸期では水戸徳川家のおとめいし「御留石」になっております。この時代より、石碑や建築物などに利用されており、なんと国会議事堂の内装にも使用されています。このように、常陸太田市では古くから石を用いた文化が発達し、江戸かくせんがんうんもへんまがんじゃもんがん期以降では石灰岩、大理石、角閃岩、雲母片麻岩、蛇紋岩などといった石材を利用し発展してきたことが分かります。また、同じ日立変成岩地かこうがん域の日立市では、5億年前の花崗岩を見ることができます。27