ブックタイトルジオサイトマップ/五浦海岸
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ジオサイトマップ/五浦海岸
天心がとりこになった地「五浦」今から百余年前、岡倉天心はこの眺めに心を奪われて五浦に移り住み、自邸から続く海に突き出た断崖の上に、赤い六角堂を建てました。海と断崖のせめぎあう雄大な光景ならば日本の至る所にあったはず…美しい五浦海岸の地形はどうやってできたの?下部が削られて穴ができる重力に耐えきれず上部が落下する海底123なぜ天心はこの地に魅了されたのでしょうか?-その秘密は、この奇岩にあります!五浦にそびえ立つ奇岩の正体は,『炭酸塩コンクリーション』この奇岩は「ししがしら」ともよばれ、中国庭園に必ずといっていいほど用いられてきたたいこせき太湖石にそっくりだったのです。もしかすると、天心はこの海を中国の庭園と見立てて、波を見つめていたのかもしれませんね。炭酸塩コンクリーションのでき方海底メタン湧水1650万年前、五浦海岸では深い海の底でメタンガスが噴出し、そこにたくさんの生物が密集していました。生物の呼吸による大量の二酸化炭素が海中のカルシウムと反応して、炭酸塩コンクリーションという堅い岩となりました。それが隆起して、複雑な形をした堅い岩(天然のコンクリート)の中にたくさんの貝の化石を含んで海上に露出しているのです。この土地は硬い岩と削られやすい岩からなっています。長い時間をかけて海岸沿いの崖の削られやすい部分が侵食され、5つの入り江ができ、五浦海岸の雄大な景観を創り出しています。美しい地形がもたらす自然災害「五浦海岸」は、5つの浦(入り江)があることからその名が付けられました。このように入り組んだ地形は、東日本大震災の際に、津波被害の差が生じるる一因となりました。し六角堂は入り江に突き出た岩礁の上にあります。そこではそで狭いところに一気に水が流れ込むことによって津波の威力が高まり、茨城県で最も高い遡上記録の1つ(10.7m)になったと考えられます。茨城県北ジオパークここにも行きたい!ジオサイト611北茨城・常磐炭田ジオサイト北茨城市内のもうひとつのジオサイト!常磐炭田の石炭は重要なエネルギー源として日本の発展を支えました。大宮段丘ジオサイト12風船爆弾で使用された和紙の原料である「楮」の栽培など、ジオを利用した人々の知恵と伝統に触れてみましょう。ストーリー別区分図第1章の時代古生代(2億5000~5億4200万年前)第4章の時代後期新生代(現在~259万年前)第2章の時代中生代(6500万~2億5000万年前)第3章の時代前期新生代(259万~6500万年前)512ー3.11の記憶91013六角堂7端磯中磯4123椿磯小五浦大五浦8五浦海岸ジオサイト811水戸再建された六角堂震災前の六角堂風船爆弾放球台跡わすれじ平和の碑再建された六角堂内部波の力にありました!この謎を解く鍵は断崖絶壁の正体…椿磯にそびえ立つししがしら2014年3月第3版1824年、イギリス船が大津に上陸しました。外国人がどんどん来てしまったら大変だ!と思った水戸藩はこの事件をきっかけに「尊王攘夷」(天皇を尊び敵を排斥する)の思想が強くなりました。(北茨城市歴史民俗資料館・野口雨情記念館所蔵)協力:ジオネット北茨城