ブックタイトル偕楽園と弘道館
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偕楽園と弘道館
偕楽園と弘道館-徳川斉昭の構想-一張一弛偕楽園と弘道館は,ともに水戸藩第九代藩主徳川斉昭(烈公)によって創設されました。藩政改革に力を注いだ斉昭は,優れた人材の育成を目指して天保12年(1841)に弘道館を,翌13年(1842)には偕楽園を開きます。偕楽園創設の由来を記した「偕楽園記」に「一張一弛」とあります。「一張一弛」とは『礼記』にある孔子のことばで,厳しいだけでなく時には緩めて楽しませることも大切であるという教えです。文武修業の場である弘道館に対し,偕楽園は修業の余暇に心身を休める一対の施設として構想されたのです。梅を愛した斉昭き斉昭は,偕楽園と弘道館に多くの梅を植えた由来を種梅ひ記碑(弘道館公園内)に刻んでいます。さきがけ梅は春の魁として清らかな花を咲かせ,実は梅干にして軍旅の用や飢饉の時の非常食となることから,実用を重んじた斉昭は梅を愛し,領内に広く植樹することを奨めました。水戸の六名木らいきいっちょういっししゅばい偕楽園と弘道館公園内にあるすべての品種を調査・研究して,その中でも花の形・香り・色などが特に優れている6品種を撰び,昭和9年(1934)に「水戸の六名木」としました。偕楽園と弘道館公園それぞれで「水戸の六名木」を鑑賞することができます。六名木しろなにわ白難波とらのお虎の尾やながわしだれ柳川枝垂れっこうばい烈公梅こうなんしょむ江南所無つきかげ月影