ブックタイトル偕楽園と弘道館
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偕楽園と弘道館
偕楽園沿革天保4年(1833),徳川斉昭が藩内を巡った時,南に千波湖や緑が岡をのぞみ,筑波山や大洗の海を遠望できる高台(七面山)を藩内随一の景勝地として遊園を設けることを決め,自ら造園構想を練りました。天保12年から造園工事を行い,翌13年(1842)7月に開園しました。偕楽園の名称は『孟子』のいにしえ「古の人は民と偕に楽しむ,故に能く楽しむなり」という一節からとったものです。大正11年(1922)3月,偕楽園,桜山,丸山ときわが「常磐公園」として史跡及び名勝に指定されました。特徴偕楽園は「偕楽園記」に「是れ余(斉昭)が衆と楽しみを同じくするなり」とあるとおり,藩主や藩士のみならず庶民にも開放する目的を掲げて造園されており,近代の公園に近い性格を持っている庭園といえます。また,地勢や周囲の自然を生かしたつくりは「風景簡素にしゆうこんて雄渾を極める」「様式斬新にして空前なり」「造園学の立場より観れば,同園は三大公園中最も優れたものであると言い得る」(本多静六:林学博士,造園家)と評されています。見所偕楽園は早春には約100品種,3,000本の梅の花が咲きほこる梅の名所として知られていますが,起伏に富んだ地形に杉林や竹林,桜やツツジ,萩などの他,表門,偕楽園記の碑,とぎょくせんせんえきだいとも吐玉泉や仙奕台など歴史を偲ばせる史跡があり四季を通じて楽しむことができます。眼下には千波湖や田鶴鳴梅林,四季の原など雄大な景観が広がり,好文亭3階(楽寿楼)からの眺めは格別です。よこうぶんていたづなきらくじゅろうせんばこ田鶴鳴梅林からみた好文亭