ブックタイトル広報かさま 2018年10月号 vol.151

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概要

広報かさま 2018年10月号 vol.151

健康ホットライン私は、病棟で退院調整看護師として、患者様やご家族が「病院で治療を終えて、今後どうしたいか」についての意思決定支援を行います。限られた入院期間の中で、「家に帰りたいけれど」の「けれど」に寄り添い、「帰りたい思いを実現するためには何が必要か」にアンテナを張り巡らし、退院後を見据えて支援しています。そのためには、入院中のご自宅訪問や、退院前カンファレンスでの多職種との連携が重要となります。患者様の在宅でのセルフケアは、大丈夫なのかといったアセスメントは、医師はもちろん、日々の生活を看ている病棟看護師の判断、リハビリテーションスタッフに委ねられます。食事、排泄、入浴、お薬の管理などの日常生活動作の問題を、福祉・介護のサービスの導入や訪問診療、訪問看護、訪問リハビリテーションに繋ぎ、在宅に戻っても切れ目の無い医療・ケアが継続できるよう地域連携の役割を担っています。退院調整看護師【問い合わせ】市立病院 TEL 0296―77―0034笠間市立病院 主任看護師 柿かきおさ長 理りえ恵県道四三号(通称川根街道)を岩間駅から七キロ程進むと下安居集落に至り、右手の小高い場所に白壁に囲まれた天台宗妙行院の本堂の屋根が見えてくる。白壁に沿って右に折れると山門(薬医門)があり、門前に「天台宗案智山妙行院法音寺」と刻まれた石柱が立つ。境内に入ると左に鐘楼、右手に観音堂、その奥正面に本堂、その左に庫く裏りが建つ。入いりもや母屋・銅板葺の本堂には本尊阿弥陀如来座像が安置されている。妙行院は、寛永年間(一六二四~四三)安居村の草分けの一人、柏原兵部が、屋敷内に小さな庵を建て道心者を置いたことに始まる。正保三年(一六四六)の検地の際に、兵部の弟が出家して庵を明生院と改め法名を光慶と称し、除地(無年貢地)の扱いをうけた。柏原家は後に久保田姓に変わる。貞享三年(一六八六)、光慶から数えて四代目祐ゆうぞ ん存が明生院を現在地に移し、幕府より正式の寺院として認められ、小鶴村(茨城町)如意輪寺の末寺となり、案智山妙行院法音寺を名乗る「三ッ寺」の寺格になった。祐存は中世の木き う え植(桜川市)城主中原将しょうげん監の子孫で、権ごん大だいそうず僧都・竪りっし ゃ者・法ほうい ん印という天台宗の高い地位にあった。妙行院の中興開山と崇められ、石塔には「中興」の二字が刻まれている。祐存は如意輪寺より上安居・下安居など四か村の檀家を引き受けて、檀那寺としての地位を築いた。また寺子屋も開いている。下安居集落には、新しんぼとけ仏の安楽往生を祈って、盆行事として「灯とう籠ろう念ねんぶ つ仏」が伝えられ笠間市文化財(民俗)の指定をうけている。妙行院に属する念仏道場の千日堂で、寛文年間(一六六一~七二)より行われてきたもので、現在は毎年八月十四日夜に行われている。千日堂に集合した念仏衆が行列を組んで妙行院へ向かい、本堂前で笠揃いして、「寺々の香の煙は細けれど、天に昇りて黒煙となる」と御詠歌・念仏を唱える。その後、念仏衆は新仏の遺族が招かれている千日堂へ戻り、その年の新仏の霊を一堂に集める「寄せ念仏」を行う。この行列の時に奏される音おんぎょく曲は、夏の夜新仏の霊を鎮めるかのように静かに流れていく。この盆行事は太平洋戦争後は中断していたが、伝統行事保存の声が高まり、昭和五十年(一九七五)に保存会が発足して復活させた。 現在は会員の高齢化が進み、公民館行事として受け継がれている。(市史研究員 萩は ぎのや野谷 洋よ う こ子)笠間の歴史探訪妙み ょうぎょういん行院44妙行院病棟看護師17 平成30年 広報かさま10月号(No.151)