ブックタイトル広報 古河 2018年5月号 No.152

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概要

広報 古河 2018年5月号 No.152

広報古河 2018.5 - 4農民の知恵から生まれたさしま茶 さしま茶の由来は、古河市が下し もふさ総国のくにと呼ばれていた頃にさかのぼります。鬼怒川と利根川に挟まれた台地であった猿さ 島しま地域。そこでは、冬場乾燥し空っ風が吹くため、畑への土壌侵食など作物への悪影響がありました。困った農民たちが畑や作物を守るために、お茶の木を畑の境界に植えたのが始まりと言われています。 江戸時代に入り、猿島郡辺へ田た村(現・坂東市)の豪農であった中山元成が、茶製法向上のため京都の宇治から製茶師を呼び寄せ、茶の改良と「焙ほ い炉ろ法ほう」という製法の教えを受けました。自身が学んだ知識と技術を地域の人たちに教え、お茶の品質向上や普及に力を注いだそうです。 そのかいあって、猿島地域で採れるお茶は、江戸の茶商たちに高く評価され「江戸の花」という商品名で人気を博しました。 その後、江戸川や利根川の水運要衝の地に生まれた銘茶として、江戸に運ばれるだけではなく、武む さ蔵し国のくに(東京・埼玉)・上こ うづけ野国のくに(群馬)・信し な の 濃国のくに(長野)など、当時としては驚くほど広範囲に流通し、下総の名産として多くの人に親しまれました。 お茶は栽培や製造方法、焙煎によって味や香りそして色までも全く違う変化を見せてくれます。古河で約150年前から栽培されてきた「さしま茶」には、先人たちの知恵や努力が加わり、飲む人の心を優しく包み込む奥ゆかしさがありました。 今月は、新緑の季節に旬を迎えるさしま茶の歴史と生産農家の情熱を特集します。日本の飲み物といえば「緑茶」。どのようにして古河で栽培されるようになったのか。そのルーツに迫ります。歴史×さしま茶