ブックタイトル広報筑西People 2017年11月1日号 No.188
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広報筑西People 2017年11月1日号 No.188
HAZAN偉人の横顔偉人の横顔陶芸家として初の文化勲章受章者である板谷波山。ふるさとをこよなく愛し、ふるさとの人々に愛される波山の人物像を紐ひも解きます。 日本の陶芸を芸術の域にまで高めた近代陶芸の祖として、輝かしい功績を残した板谷波山。 東洋の伝統技法に加え、当時のヨーロッパの最新デザインであるアール・ヌーヴォーや窯よう業ぎょう技術を積極的に取り入れるなど、作陶に妥協を許さず、理想を追求し続けました。没後54年経った今なお、陶聖として敬われています。陶聖・板谷波山 板谷波山(本名・嘉か し七ち)は明治5年、真壁郡下館町(現・筑西市)に、醤油醸造や雑貨を扱う商家である板谷家の三男六女の末子として生まれました。明治22年、東京美術学校(現・東京芸術大学)彫刻科に入学し、岡倉天心や高村光雲らに学び、卒業後は石川県工業学校(現・石川県立工業高等学校)の彫刻科主任教諭に就任しました。その後、陶磁科を担当するようになり、本格的に陶芸の研究を始めます。 明治36年職を辞して、39年に東京・田端に自分の窯をつくり、陶芸家としての人生をスタートさせました。生い立ち彩さい磁じ 金きん魚ぎょ文もん花か 瓶びん? 明治 43 年 しゅう釉ゆう唐とう花か 彫ちょう紋もん花か 瓶びん 大正11 年葆ほ 光こう青せい磁じ 唐とう花か 彫ちょう紋もん花か 瓶びん 大正8年頃 その後波山は、明治40年に東京勧業博覧会で受賞した三等賞を皮切りに、諸展覧会で受賞を重ねました。明治44年には、妻のまるとともに『彩さい磁じ菊きっ花か図ず額がく皿ざら』(しもだて美術館蔵)を御前制作するという栄誉にあずかります。 こうして陶芸家として広く名が知られるようになった波山は、工芸家として初の帝国美術会員、陶芸家として初の文化勲章受章など、数々の功績を残しました。 国の重要文化財である『葆ほ光こう彩さい磁じ珍ちん果か文もん花か瓶びん』をはじめとした作品たちは、今日も見る人の胸を打ちます。数々の功績2