ブックタイトル商工会議所報ひたちなか 2017年9月10日号 No.162
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商工会議所報ひたちなか 2017年9月10日号 No.162
中根駅大正十四年、中野村大山富次村長時代に、茨城東海新聞社の国井通太郎社長の仲介で、三反田(勝田村)、柳沢、中根(中野村)出身の村議や青年会会長たちが集まり「駅を新設してもらおう」との協議がなされ「土地三反歩と人夫八百人及び現金若干を提供する」こととなり、それぞれの立場で運動を開始することとなった。新駅設置の運動は難航していたが、昭和六年六月に地元有志が湊鉄道の舘山支配人を交えて話し合った結果「財界不況の折柄、一時的の仮停車場を設置し、待合室、便所を置き、夏季中社員一名を配置し、乗客の利便をはかる由にて、昭和六年七月二十五日より停車すること」に決定した。このようにして発起以来六年余の歳月を費やした中野村中間駅設置問題は解決した。駅名は場所が柳沢の土地であったが、費用負担の問題もあったことから「中根駅」とされ、稼働開始後は駅の設置に消極的であった勝田村からの利用者が増えていくとともに、前渡村本郷、中野村部田野、柳沢、三反田村高井、道理山、圷といった広範囲の住民に活用された。その後、周辺の景色にふさわしい小さな中根駅舎を新築。民間委託駅とすべく募集をしたところ、駅から近い三反田の人が応募してきた。列車運行中、委託駅員さんがいるので人里離れた駅でも安全であったことから利用者も増えた。中根駅を作るときに手を貸してくれた人の中で、趣味で苗木を育てている西野さんという人がいた。西野さんは、湊公園の水戸様お手植えの松の松笠を持ち帰り、種を播き松の幼木を育てており、その中から五本を記念として駅の通路側に植えてくれた。その松は幹が三十センチほど成長し、中根駅の名物となったが、松食い虫の被害にあい、今は姿を消した。(つづく・文中敬称略)中根駅(昭和45年11月)側線と松があった時代の中根駅(昭和45年11月)Shopping town 勝田中央ファーストレンタカー229-3990KICONA勝田駅前店湊線の歴史と各駅⑤語り部:柏 昭太郎 さん(元那珂湊管理駅 駅長)第9シリーズ6