ブックタイトル神栖市総合計画 後期基本計画

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概要

神栖市総合計画 後期基本計画

第Ⅰ編 序論第2章 神栖市の概況13第1節第2章第Ⅱ編第2節第2章第Ⅱ編第3節第2章第Ⅱ編第4節第2章第Ⅱ編第5節第2章第Ⅱ編第6節第2章第Ⅱ編第7節第2章第Ⅱ編第8節第2章第Ⅱ編第3章第Ⅱ編第1章第Ⅱ編序論第Ⅰ編資料編第 6 節 沿革本市の歴史は古く、市内に数多くみられる古墳や貝塚等により、縄文時代前期から人々が生活していたことが確認されています。中世から近世にかけては、鹿島灘・利根川・常陸利根川・外浪逆浦・神之池などの豊かな水の恵みを受け、漁業・農業・舟運のまちとして発展しました。また、本市が飛躍的な発展を遂げる要因となった鹿島開発が、昭和30 年代後半の造成事業をかわきりに、昭和44 年(1969 年)に鹿島港が開港、昭和48 年(1973 年)には工業団地造成事業が完了しました。景気の低迷などにより、立地企業が影響を受けた時期もありましたが、我が国有数の工業団地として成長を続け、現在でも我が国の経済を力強く支えています。〔参考〕行政区域の変遷明治22 年(1889 年)神栖町域の17 ヵ村が統合され中島村と軽野村が発足波崎町域の3ヵ村東下村・矢田部村・若松村が発足大正14 年(1925 年) 中島村が息栖村に名称を変更昭和 3 年(1928 年) 東下村が町制を施行し波崎町が発足昭和30 年(1955 年)息栖村と軽野村が合併し、神栖村が発足波崎町が矢田部村を編入昭和31 年(1956 年) 若松村が神栖村と波崎町に分割編入昭和45 年(1970 年) 神栖村が町制施行、神栖町となる昭和55 年(1980 年) 神栖町と波崎町の境界が一部変更平成17 年(2005 年) 神栖町が波崎町を編入合併、市制施行により神栖市となる