ブックタイトル広報 稲敷 2017年4月号 No.145
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広報 稲敷 2017年4月号 No.145
NEWS inashiki15 広報稲敷平成29年4月号臼うすだもんじょ田文書は、鎌倉時代の嘉かろく禄3年(1227年)から江戸時代初めの慶けいちょう長14年(1609年)までの臼田氏の動向を記録した、臼田家に代々伝わる古文書群で、巻かんす子の形でまとめられた文書9点と、折おりちょう帖の形でまとめられた文書45点の合計54点の文書からなります。 巻子の9点には、信濃国海うんののしょう野庄田中郷(長野県)および武蔵国師もろおか岡保ほかたびらごう帷郷(神奈川県)という臼田氏の先祖が相伝した知行地に関する鎌倉将軍家下くだしぶみ文、関東下げち知状じょう、譲ゆずりじょう状の案文で、公的機関の校正を経た具ぐしょあん書案と呼ばれる形状を伝えています。 折帖の45点は、1点目から4点目までが覚おぼえがき書で、5点目から45点目までが鎌倉時代以来の譲状と常陸国(茨城県)来住後の活躍を物語る判はんもつ物や感かんじょう状、書状の原本で、例えば、古河公方の成立に伴う関東の争乱の実体としての永享12年(1440年)の結城合戦や、長禄3年(1459年)の信太庄合戦、大永3年(1523年)の屋代合戦、そして天正18年(1590年)の小田原合戦の一環での江戸崎城落城等々、他に見られない内容が数多く含まれています。 臼田氏は信濃国の豪族である滋野氏の一族であり、海野氏、田中氏、望月氏らとも同族で、初代は臼田四しろう郎重しげつね経、名字の地は信濃国佐久郡伴野庄臼田郷(長野県)です。 常陸国(茨城県)への来住は、南北朝末期の嘉かけい慶元年(1387年)で、常陸国信太庄布佐郷(美浦村)を与えられたことがきっかけで、来住後は関東管領山内上杉氏の被ひかん官(家臣)として、土岐原氏や大越氏、近藤氏らと共に、関東地方を代表する国人領主として戦国末期まで活躍しました。 その後は、豊臣秀吉の全国統一、兵農分離の政策を期に武士の身分を捨て、現在の稲敷市羽賀に土着帰農して今日に至っています。 この様に臼田文書は、信濃国から常陸国に来住した臼田氏が、上杉氏と関係を維持しながらも土岐原氏を始めとする常陸の国人衆との交信を通して、新たな地域社会の中で連携を深めていった様子を知ることが出来る非常に貴重な古文書です。●稲敷市歴史民俗資料館 ?0299-79-3211平成29 年2 月23 日に、茨城県庁で行われた指定書交付式にて、指定書を授与された臼田夫妻。N E W S古文書「臼田文書」茨城県指定有形文化財に指定されました(稲敷市羽賀)(大永3年)4 月19 日上杉憲房感状嘉慶元年8 月7 日上杉憲定宛行状案(年末詳)11 月16 日上杉憲政判物