ブックタイトル広報いしおか 2017年3月1日号 No.274
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広報いしおか 2017年3月1日号 No.274
まち探訪「三味線の魅力を伝えたい」府中にある、三味線ライブハウス「しゃかりき」には、力強く弦を弾く指先から繰り出される小気味のよい三味線の音色が響きます。津軽三味線日本一決定戦で日本一に輝いた踊正太郎さん(北府中)の奏でる三味線です。 津軽三味線は、津軽地方で男性の視覚障がい者の門付芸として発展・伝承してきましたが、現在、全盲のプロ奏者は全国で踊さんただ一人。北 昨年の12月、踊さんは、障がいがありながらも不屈の努力を続け社会的に顕著な活躍をしている人に贈られる「塙保己一賞」を授与されました。 塙保己一賞とは、平成19年度から埼玉県が創設したもの。幼くして失明したにも関わらず、文献集「群ぐんしょうるいじゅう書類従」を編集・出版した江戸時代後期の国学者、塙保己一(埼玉県・本庄市出身)の精神を後世に引き継ごうという思いが込められています。この塙保己一さんは、世界的な偉人として讃えられるヘレン・ケラーも人生の目標とした人といわれています。プロの三味線奏者を 志した高校時代「民踊舞踊を教えていた祖母から、3歳のときに三味線をプレゼントされたのが、最初の出会いでした。それから40年近く、ずっと三味線のとりこです」 6歳になると、阿見町の師匠に弟子入りして本格的に習い始めました。この稽古を欠かしたくなかったため、寄宿舎には入らず、石岡駅から電車とバスを使い3時間半かけて、水戸の茨城県立盲学校まで6歳から12年間、通い続けたといいます。 転機は16歳、高校2年生のときに訪れます。腕試しに出た津軽三味線全国大会に初出場ながら6位という成績を残しました。「プロの三味線奏者を目指すきっかけになった出来事でした。卒業後は、マッサージの仕事に携わりながら、趣味で三味線を続けるという道もあったのですが、どうしてもプロになりたかった。今でこそ、視覚障がい者の職業の選択肢も広がってきていますが、その当時はまだまだ限定的。そこで音楽の可能性にかけて、職業選択の幅を広げる挑戦をしたかったんです」プロを目指し、 高校卒業後、単身青森へ 津軽三味線の全国大会を創設した、青森県在住の三味線奏者、山田千里さんに内弟子入り。何人もの弟子がいた中で、視覚障がいがあったのは踊さん一人だけ。昼は稽古、夜は師匠の経営する民謡酒場の手伝いの日々でした。20歳から、津軽三味線全国大会で3連覇を達成し、東京、大阪をはじめ各地で公演を行いました。 石岡市に戻り、ライブハウスを開いたのは、25歳の時でした。伝えていきたい 三味線の魅力「ライブハウスでは三味線教室も開いています。ありがたいことに、毎月、県内はもとより、東京や千葉からも生徒さんが習いに来てくれています。三味線に関心をもっていただけるのは、とてもうれしいですね。今後は、生まれ育ったふるさと石岡でも、三味線の魅力を伝えていけるような活動をしていきたい」と話しました。全国で唯一の全盲の津軽三味線プロ奏者、踊よう正太郎さん みんなのひろば 21 広報いしおか3月1日号 №274