ブックタイトル商工会議所報ひたちなか 2017年3月10日号 No.156

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概要

商工会議所報ひたちなか 2017年3月10日号 No.156

高場前坪に建立されている静神社は、今から約四五〇年前に、水戸城主であった江戸但馬守忠道により正八幡神社として造営されたが、水戸黄門として知られる水戸藩第二代藩主徳川光圀公によって静明神として改められ、村の鎮守とされました。「上高場村鎮守建立覚書」には「江戸但馬守殿、当初江御鷹野江御出之節云々」と記され、高場周辺の原野は、鷹狩りを行う御鷹野であったことがわかる。そして高羽、鷹羽との文字もみられ、鷹狩りを行う絶好の場所だったのであろう。地域内には大川水系の河川が流れており、約二〇〇〇年前の弥生時代の下高場遺跡からは、土器や石器などが出土しており、市域でも早くから水稲耕作などが行われていたものと考えられる。また鉾香取神社周辺からは、古墳時代の古墳が三基調査され、そのなかの一基からは、「高野石」と呼ばれる軟質の凝灰岩で作られた箱式石棺も検出された。石棺のなかからは、鉄鏃(鉄製矢じり)、鹿角刀子(持つところを鹿の角で装飾された小刀)、大刀などの副葬品が出土している。また、古墳の周囲の溝(周堀)からは、人物埴輪や円筒埴輪、馬形埴輪など様々な埴輪が多く出土している。これらの埴輪は、国史跡の馬渡埴輪製作遺跡で作られ、此の地に運ばれていることも判明している。そのなかでも、女性の人物埴輪は、頬紅を塗り、イヤリングをつけた女性の埴輪で微笑みかけている優品で、ひたちなか市の文化財に指定されています。今から一五〇〇年も前の古墳時代後期にこのような人々が高場地内に住んでいたのでしょうか。(つづく・文中敬称略)あんこう鍋弁当海鮮レストラン浜辺のおすすめhttp://www.minato-kankohotel.com/TEL 029-262-4118 FAX 029-262-4119(那珂湊おさかな市場前)大小御宴会・御宿泊・御慶事・御法事・御会合御予算に応じ承りますみなと観光ホテル 検索送 迎致しますTEL 029-273-7467http://homepage2.nifty.com/cafejuri/〒312-0011 ひたちなか市中根3317-6〔営業時間〕 10:00~19:00〔定  休〕 毎週月曜&第3火曜静神社静神社境内にある“木登り熊”鉾の宮古墳出土人物埴輪佐野地区~高場の地名の由来と歴史~語り部:鴨志田 篤二 さん(茨城県埋蔵文化財指導員)第8シリーズ6