ブックタイトルHitachi City GUIDE BOOK【日立市ガイドブック】

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概要

Hitachi City GUIDE BOOK【日立市ガイドブック】

これまでも、これからも西暦(元号)1889 (明治22)1898 (明治30)1905 (明治38)1910 (明治43)1914 (大正 3)1924 (大正13)1939 (昭和14)1940 (昭和15)1945 (昭和20)1948 (昭和23)1949 (昭和24)1951 (昭和26)1955 (昭和30)1956 (昭和31)1962 (昭和37)1965 (昭和40)1977 (昭和52)1981 (昭和56)1982 (昭和57)1985 (昭和60)1988 (昭和63)1989 (平成 元)1990 (平成 2)1993 (平成 5)1994 (平成 6)1995 (平成 7)1999 (平成11)2003 (平成15)2004 (平成16)2005 (平成17)2007 (平成19)~Towards the future~軍需鉱工業都市と目された日立市は、終戦直前、アメリカ軍から3度の爆撃等を受けました。■6月10日B29による爆撃1トン爆弾508発投下■7月17日アメリカ艦隊による艦砲射撃16インチ砲弾530発砲撃■7月19日B29による焼夷弾爆撃焼夷弾13,900発960トン余投下「西の西陣、東の桐生」と称され、古くから織物のまちとして発展してきた桐生市。桐生市の子どもたちが毎年夏の臨海学校で日立市を訪れていたことがきっかけとなり国内親善都市となりました。鉄鋼業のつながりで姉妹都市になったバーミングハム市。同市から贈られた、まちのシンボルである「バルカン像」(ローマ神話に登場する火と鍛冶(かじ)の神)が、かみね公園展望台の傍にあります。展望台から眺める水平線に、地球の丸さを実感!江戸時代後期、「助川海防城」が築城された際、初代城主に山辺町出身で水戸藩家老の山野邊義観(やまのべよしみ)公が任命された歴史的な結び付きを縁として、国内友好都市となった山辺町。古くから繊維産業が盛んなほか、さくらんぼなどの果物も絶品です。市民みこし訪問団や青少年の交流を通して姉妹都市になったタウランガ市。「タウランガ」とは、この地域の先住民族であるマオリ族の言葉で、“囲まれた水”“カヌーの錨(いかり)を降ろす場所”という意味で、ニュージーランド最大規模の商業港を有します。宮田村と滑川村が合併し、多賀郡日立村が誕生する。常磐線助川駅が開駅する。久原房之助が赤沢銅山を日立鉱山として創業する。小平浪平が日立製作所を設立する。大煙突が築造される。多賀郡日立村が多賀郡日立町になる。日立町と助川町が合併し、日立市となる。市の紋章を制定する。終戦直前の爆撃等により、市内の約7割が灰になる。かみね公園の整備に着手する。日立市民の歌を制定する。平和通りが開通し、街路樹として桜を植樹する。日立市に多賀町、日高村、久慈町、中里村、坂本村、東小沢村が編入合併し、新日立市が誕生する。豊浦町が編入合併する。交通安全都市宣言をする。群馬県桐生市と国内親善都市を提携する。市の花「サクラ」、市の木「ケヤキ」を制定する。日立鉱山が閉山する。アメリカ合衆国アラバマ州バーミングハム市と国際親善姉妹都市を提携する。常磐自動車道が日立北インターチェンジまで開通する。核兵器廃絶、平和都市宣言をする。ニュージーランド・タウランガ市と国際親善姉妹都市を提携する。市制施行50周年、市の鳥「ウミウ」を制定する。「日立シビックセンター」、「日立新都市広場」がオープンする。大煙突が3分の1を残して倒壊する。日立中央インターチェンジが開通する。「奥日立きららの里」がオープンする。終戦50周年記念事業として、平和の鐘を日立駅前広場に設置する。市制施行60周年、「日立地区産業支援センター」がオープンする。市のさかな「さくらダコ」を制定する。72年に一度の大祭礼「金砂大田楽」が公開される。「??田正音楽記念館」がオープンする。山形県山辺町と国内友好都市を提携する。十王町との合併により、新日立市が誕生する。環境都市宣言をする。日立市イメージマーク、キャッチコピー、イメージカラーを制定する。31●Hitachi City GUIDE BOOK