ブックタイトル広報 常陸大宮 2017年2月号 No.149

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概要

広報 常陸大宮 2017年2月号 No.149

広報 常陸大宮 2 2  平成29年2月号???????????????????????????????????????????????????????????????????????? ??????????????????????????????このたび市史編さん委員会に加えていただいた添田です。主に江戸時代の歴史を担当します。よろしくお願いします。八溝山系の山々と木々、そして那珂川・久慈川がたたえる水の流れに囲まれた常陸大宮市。豊かな自然、それも常陸大宮市の個性の一つです。この季節は、湯気が立つけんちん蕎麦を地産の日本酒と一緒に流し込んで、自然がもたらしてくれる恵みを堪能する方も多いでしょう。私もその一人です。私たちの生活が、多かれ少なかれ自然の条件を基礎にして成り立っていることはいうまでもないでしょう。江戸時代は今と比べて、人間がより自然を身近に感じていた時代といえるでしょう。市域で暮らした人びとの生活も、自然の恵みなしには成り立ちませんでした。西の内紙の材料となる 楮 、こうぞ諸沢や下小瀬の火打石、高部の材木、諸沢の粉こんにゃくなどが、水戸藩のふところを温めました。山や川の資源を大切に活用するしくみが地域のなりわいを支えたのです。一方で、永田 茂 衛 門 親子によって那珂川・久も え もん慈川に築かれた巨大な 灌 漑 施 設 ( 堰 )が下流域を有数のかん がい し せつ せき田園地帯に変えたように、人間が自然の力を操るための技術も進歩しました。茨城大学人文学部准教授 添田 仁委員(近世史部会長)■問い合わせ■ 歴史文化振興室 緯52‐1450▲大正期の辰ノ口堰と瀬割堤(『水戸藩利水史料集』より転載)▲幕末期の辰ノ口堰元付近『辰ノ口分江全図』(『水戸藩利水史料集』より転載)ゆえに、自然が人間の歴史に何を刻んできたのかということは、地域の歴史を考える際に無視できない大事な問題です。しかし、これまで自然の重要性は認識されていても、自然と人間、二つの歩みを編み込むような歴史叙述はあまりなされてきませんでした。たとえば歴史の教科書を見ても、人間が自然環境に与えた影響について述べた部分に比べると、気候や地殻の変動に制約された社会のあり様についての記述はかなり少ないです。新しい市史でも、「自然編」が「通史編」とは別に編まれる予定になっています。そして、ときに行き過ぎた開発が、土砂くずれ、洪水、獣害のような災害となって人びとの生活と命を脅かし始めたのです。近年日本列島で頻発している自然災害は、自然と人間社会との関係をどのように考えるべきなのか、私たちに重い問いを突きつけているように思います。江戸時代の歴史には、近代以降の社会が忘れてしまった、自然と人間のつき合い方のヒントが刻まれているのではないでしょうか。新しい市史では、自然と人間の歩みを別々に把握するのではなく、自然と人間が織りなす歴史を描くことに力を注ぎたいと考えています。