ブックタイトル広報 常陸大宮 2017年1月号 No.148
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広報 常陸大宮 2017年1月号 No.148
広報 常陸大宮 1 7 平成29年1月号この大宮工業高等学校の建設に伴う一騎山古墳群の発掘調査は、当時の大宮町としても現在の常陸大宮市にとっても、最初の緊急発掘でした。現在、遺跡は姿を消してしまいましたが、発掘調査の報告書が刊行され、出土した遺物が残されたのがせめてもの救いでした。遺跡を跡形もなく破壊するのではなく、歴史との共存を図る方策の1つが記録なのでしょう。???????????????????????????????????????????????????????????????????????? ??????????????????????????????1973(昭和48)年、中学生の私は大宮町下村田で古墳が発掘されていることを聞きつけ、一人自転車で向かいました。掘り起こされた古墳の石室や住居跡を見て回り、父親から借りたカメラで写真を撮りました。ひたちなか市埋蔵文化財調査センター所長 鈴木 素行委員(考古部会長)土中から姿を現した人面付土器は、菊池さんにも見ていただきました。調査終了後にいただいた礼状の、「我先祖の掘り起こされた大昔の遺物の様な気がして、感慨深いものがあります」と書かれた一文が印象的でした。もちろん血縁関係などは立証できませんが、同じ土地に生活を営んだ先人への気持ちなのでしょう。保管されていた菊池さんの寄贈資料が、人面付土器「いずみ」を誕生させたのです。2016(平成28)年、常陸大宮市史編さん委員会の中に考古部会が組織され、活動を開始しました。私自身は微力なので、部会には各時代の専門家に集まってもらいました。過去の発掘調査や未報告の資料を現在の研究水準で公表し、広く永く活用できる市史を目指したいと考えています。まだまだ埋もれた資料があるはずです。この場を借りて、市民の皆さんには情報の提供をお願いします。遺構の様子を撮影する鈴木委員?▲一騎山古墳群(石室)私が受けている授業で、県北地域に移住者を増やすための施策を考える機会がありました。そこで、常陸大宮市に移住し農業の分野で活躍している方々に話を聞き、いくつかの提案をしました。1つ目は、民泊等で子どもたちに「農業の楽しさ」を知ってもらうこと。2つ目は、農業を学ぶ学生向けのインターンシップを行い、「農業の場としての常陸大宮市」を意識してもらうこと。3つ目は、移住の生活をサポートするコンシェルジュを置き「住みよい、終の住みか」として選んでもらうことです。これらを県主催の「地方創生政策アイデアコンテスト」で発表し、奨励賞を受賞しました。卒業後は地元の栃木県に戻る予定ですが、何らかの形で茨城に関わっていけたらと思っています。茨城大学人文学部4年 松本奈津美■問い合わせ■ 歴史文化振興室 緯52‐14502006(平成18)年、私は仲間と泉坂下遺跡の学術発掘を敢行しました。現地は水田のため、地表面を観察しても遺跡があるとはなかなか気づきません。地権者である菊池榮一さん(故人)が採集し、歴史民俗資料館と地元の小学校に寄贈されていた石器や土器だけが手掛かりでした。発掘の初日に人面付土器が出土し、緊張を強いられることになりましたが、それはまた発掘調査というものの醍醐味を体感させてくれる日々でした。▲人面付土器「いずみ」発掘の様子