ブックタイトル広報 常陸大宮 2016年2月号 No.137

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概要

広報 常陸大宮 2016年2月号 No.137

?????????????? ?????佐竹義昭奉加帳昨年10月21日、常陸大宮市と秋田県大館市は、友好都市協定を締結しました。直線距離で400km離れている両市が友好都市となったきっかけは、今からちょうど20年前の平成8年、当時大館市立城南小学校3年生だった吉田菜見さんが、当時の大宮町長に送った一通の手紙でした。今回は、大館市と本市をつなぐ史料として重要な、「佐竹義昭奉加帳」についてお話しましょう。【甲神社と「佐竹義昭奉加帳」】へたれおおみやだい市内下町に鎮座する甲神社は、かつて部垂大宮大みょうじんかぶとみや明神甲宮と呼ばれ、周辺12ケ村の総鎮守として崇敬されてきた古社です。甲神社には隣接して部垂城が築かれ、佐竹氏の領国支配の上で重要な役割を果たしていました。しかし部垂の乱と呼ばれる一族の内紛のため、天文9年(1540)、当時の佐竹16代当主義篤によっへたれよしもとて、城主であり実弟の部垂義元一族が滅ぼされ、落城しました。義篤の子で17代当主となった義昭は、支配地の安定を図るため、積極的に領内各地の寺社を優遇し、弘治3年(1557)、部垂一族の鎮魂を願ってか、甲神社の大修理も実施しています。その折、修理費用の寄附を割り当てられた人々の名簿が「佐竹義昭奉加帳」(県指定文化財)であり、寄附者の多くは、「部垂衆」と呼ばれた、部垂氏の遺臣達と考えられています。執があると教えてもらったのだそうです。へたれむら執大宮町の市街地は、古くから「部垂村」という名前執執だったのに、江戸時代の終わり頃「大宮村」に変わっ執たこと。460年ほど前の戦国時代は、このあたりを佐執執竹という殿様が治めていて、部垂城の殿様だった弟と執戦争をして滅ぼしてしまったこと。殿様をなくした部執執垂の家来たちが、近くにある小場城の殿様の家来分に執なって、「部垂衆」と呼ばれたこと。多くの部垂衆の名執前が書かれた「奉加帳」が甲神社に残っていること。佐執執竹の殿様が徳川家康の命令で、茨城を離れて秋田を治執めることになったとき、小場城の殿様は一緒に秋田へ執執行き、大館にあったお城の殿様になったこと。小場の執殿様の家来になった部垂衆も大館に移り住んで、住み執執着いた場所が「部垂町」と呼ばれることになったこと。執これらを返事としてまとめ、菜見さんに送りました。執執【奉加帳にある家臣の苗字】執佐竹氏が秋田へ移封された折、長男家族のみが秋田執執に従い、次・三男は農民として住みなれた常陸国に執残った家臣も多かったといいます。執「佐竹義昭奉加帳」記載の内、判読できる苗字は、執執小田野、和田、根本、野上、長田、黒澤、石橋、江間、執人見、田所、大山、大和田、徳川、片岡、大縄、後藤、執執長山、徳宿、関、安土、川上、荻津、高久、石川、執小阿久津、立原、本橋、柏、瀬尾、高和田、小林、執執大串、内田、冨岡、小槻、皆川、古徳、寺門、冨山、執阿久津、宮内、金田、小泉、山田、川又、飯村、山崎、執執篠田、綿引、梶、桑原、大賀、須藤、塙、倉田、執宇留野、飛田、井坂、林、赤須、田村、小澤、掛札、執執大貫、清水、菊地、長井、大鷹、嶋根、沼田、藤田、執木村、豊田、泉、河野、寺崎、安部、おそ能、栗田、執執岡崎、小室、伊坂、柏木、右澤、の84姓です。執ご自分に関係する苗字を見出された方も多いのでは執ないでしょうか?執執【電話帳で調べた大館にある苗字】執菜見さんは4年生になっても調査を続け、大宮町と執執大館にある共通する苗字を電話帳で調べるなどしてい執ます。今回、菜見さんから送ってもらった大館の電話執執帳で、奉加帳にある苗字を調べたところ、なんと、半執分以上の43の姓(赤字で示したもの)を見つけること執執ができました。執もちろん、佐竹氏の秋田移封と全く関係ない家も多▲「佐竹義昭奉加帳」部分(県指定文化財甲神社所蔵)執執いに違いありません。しかし大館には、部垂衆のほ執か、小場の家来はもちろんのこと、秋田移封の3年前【吉田菜見さんからの手紙とその返事】執に取り潰しとなった長倉氏の家臣達も移り住み、長倉へだれまち執「私が住んでいる部垂町の名前は、大宮町とどんな執町として地名が残っています。奉加帳にない苗字で関係があるのですか」執も、当市にゆかりある家が、まだまだ大館にはあるは執とき菜見さんから届いた手紙には、そう書かれていまし執ず。本当の意味での友好都市として、400年の時空をた。他の子ども達から「へったれまち」と悪口を言わ執超えた市民レベルの交流が期待されます。執れる町名を不思議に思い、由来を知りたいと、図書館執や郷土博物館で調べたところ、茨城県の大宮町と関係執歴史民俗資料館大宮館緯52-1450広報常陸大宮20平成28年2月号