ブックタイトル広報かすみがうら 2016年2月号 No.131

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概要

広報かすみがうら 2016年2月号 No.131

文芸ひろば詠歌の紹介投稿作品老いし母の歩みし後に子はつきて夕陽を浴びて杖は光れり石塚清障子張りこれが最後かと思いつつ手慣れた糊刷毛丹念に洗う菅谷咊子なにはあれ担いしたすき繋げんと辿り着きしも渡す友はいず中島良平温かな余韻残して友逝けり春まだ浅き如月の季と節き沽野はつ子屋根毎に白き霜おき陽は昇る厳しく美しき季の景かな渡辺静江お裾分け肌つやつやと蓬餅扶美世子の咳に母はおでこで加減診るやまぐちいさむ20かすみがうら出島短歌会振り向けば柿色に染まる夕焼に犬は遠くを見つつ吠えをり飯島ヒロエ信号の赤から青に変わる時事故思い出しどきどき通る浜田留子玻璃越しに飛行機雲のなびきゆく波紋のような空をみている岡田恭子いつの間にか苦しみだけを連れ去りて時は無言で我を追い越す名倉子▼投稿作品(俳句・短歌・川柳)を募集しています。3月3日木までに情報広報課(〒300-0192大和田562番地)へお願いします。なお、応募多数な場合には掲載されない場合がありますのでご了承ください。市民学芸員が語るシリーズ?ジオパーク構想豆知識問郷土資料館?029(896)0017千代田俳句同好会強がりは照れ隠しなり皮ジャンパー飯沼礼子大寒や牛百頭の放し飼ひ大塚隼人麻の葉の模様蓮田の氷りけり大西周冬至までまっていたよと南瓜切る加藤貞江命乞ふ厄除け札を買ふ四温北野良雄青見紫陽花俳句会友の通夜月寒き夜にとぼとぼと飯田功初鐘元気でこその皺の数車田きみ名刹の甍を射るや寒月光田能幸雄寒月や集落ひたと野にしずむ萩原とし子寒鯉の並びし水面絵の如し福田宏通稲作文化と信仰霞ヶ浦沿岸地方での稲作文化は、約1700年前の古墳時代の初めごろには開始されていたようです。当時の稲作は、「常陸国風土記」行方郡の夜刀の神伝説によりますと霞ヶ浦に直接面する低地に田を求めるのではなく谷津を中心に開発が実施されたようです。江戸時代になると水戸藩南領と呼ばれたかすみがうら市周辺の米は、味・色合い・風味が大変よく評判でした。御田植え神事には、稲作を通した自然への祈りと、恵みをもたらす神への感謝を捧げる、日本人の精神文化の一端をみることが出来ます。(牛渡鹿島神社▼▼▼へいさんぼう、上高谷鹿島神社▼▼▼ドキョウサマ)常陸野の自然からうまれた栗筑波山系の山々が東に伸びきって、関東平野の脇腹に食い込んだところが千代田地区です。この山麓の台地は、谷津田と呼ばれる狭少な田圃が入り組み、松・杉・くぬぎ・ならなど林が多く見られます。林を縫って小径をたどると、集落や栗や梨などの果樹園にあたります。そして、道端には草花を見つけることができ、これぞ典型的な常陸野だといえます。武蔵野との違いは果樹園や植木畑、豚が多いことです。そのような自然豊かな常陸野に、栗市場を拡大させるきっかけを作った人物が下志筑の長谷川茂蔵氏です。茂蔵氏は、ある日自宅の庭先にあった2本の栗の実を拾い集め、一反歩あたり、どれくらいの収穫が望めるか計算してみました。すると、栗畑一反歩で米9俵から18俵に相当する収入が得られることに気づきました。さっそく栗の苗木を仕入れ屋敷前の山林を開墾し植えました。茂蔵の栗栽培が注目され大正末期に5万本になったそうです。今の千代田の栗や志士庫の栗が有名になった原点ですね。次回は「ジオと水産業」について紹介します。(深井征一郎)↑毎年5月5日に行われる「へいさんぼう」