ブックタイトル広報 結城 2016年1月号 No.652
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広報 結城 2016年1月号 No.652
初山章さん(小森)絹川地区自治協力員会会長はつやまあきら武藤正浩さん(小森)関東道路株式会社代表取締役社長むとうまさひろ411日には、結城ケーブルテレビでボランティア募集を呼びかけ、その後NHKのニュース番組でもボランティア募集を呼びかけてもらうことができました。12日?13日にかけては、絹川小学校にボランティアセンター本部を設置して、被災された世帯のがれきやごみの搬出などを実施しました。ボランティアの人数ですが、12日は民生委員・児童委員の皆さんを始め、各学校の教職員の皆さん、また県内外からのボランティア、あわせて185人、13日は消防団員の皆さんを含め179人の方に活動していただきました。多くの皆さんにご協力いただき、この場をお借りして御礼申し上げたいと思います。初山私の住んでる地域は田川沿いに位置しています。堤防に行くと、鬼怒商業高校は水に浸かり、その付近にある関東道路さんを含む民間企業も浸水していて、すべて水に浸かっている状態でした。鬼怒川の水位がどんどん高くなり、田川に逆流していましたので、堤防が決壊してしまうかもしれないと思っていました。市からの避難勧告により、地域全体に避難通知を出すとともに、自らも避難所へ向かいました。武藤9日は、当直のほかに社員一人を残していました。午後10時30分ごろ、雨は激しかったのですが増水はなかったため、その社員を帰宅させました。10日午前2時ごろ、入り口から全て冠水していますとの連絡があり、すぐに会社に行きました。田川から水がどんどん流れてきて、会社には全く入れない状況でした。1階が完全に冠水していましたので、朝の8時ごろにレスキュー隊のゴムボートで当直の従業員を救出していただきました。午後6時ごろ、もう水も引いただろうと思い、鬼怒商業高校のグラウンド近くまで歩いて行きましたが、まだ水が膝上までありました。今回は、自分たちの予想をはるかに超える、前例のないような水害でした。国土交通省の調査によると、浸水時の自社付近の水位は地面から2.8mとのことでした。大型ダンプも道路を整備する重機もすべて冠水してしまいましたが、地域内で死者が一人も出なかったことが何より良かったなと実感しました。北島皆さんの被害状況などを聞いていると、山川地区は、山王ではかなり被害がありましたが、私の住んでいる山川沼周辺では、比較的少ない被害で済んだと改めて思いました。「山川沼」と呼ばれる水田地帯は、普段の雷雨でも冠水してしまうような低い場所です。排水機場に大きなポンプがあり、水が溢れないよう下流に放出しているのですが、当時も排水機場が稼働していて、なんとかなるかなと思い見守っている状況でした。しかし、9日の朝になると冠水が始まっていて、10日の朝には稲穂の頭だけが出ているような状態で、それでもポンプが稼働しているから大丈夫かなと思っていたのですが、夕方になるとほとんど稲穂が見えなくなっていました。2日?3日は稲穂が水没した状態