ブックタイトル広報 常陸大宮 2015年12月号 No.135

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広報 常陸大宮 2015年12月号 No.135

?????????????? ?????那珂川のサケ(鮭)去る11月23日、御前山地域野口の河川敷と御前山青少年旅行村で、「川のめぐみを学び味わうツアー」と題する小さな学習会が開催されました。那珂川漁協組合員の茂垣徳一さんと、県水産試験場内水面支場の丹羽晋太郎さんより、サケとアユの生態や増殖の試み、那珂川で行われている伝統漁法について詳しい説明を受けた後、参加者はイクラなど那珂川のめぐみの美味しさに驚き、舌鼓を打ちました。◆常陸のほまれ那珂川のサケ秋から初冬にかけては、サケが生まれた川を遡上する季節。日本で毎年遡上が認められる太平洋側の南限は利根川とされており、古くから著名なのは、本市を流れる久慈川と那珂川です。江戸時代末から明治初年にまとめられた『新編常陸国誌』には、次のように記されています。「鮭は越後国と常陸国で産するものが最上で、常陸国では久慈川・那珂川・霞ヶ浦をはじめ多くの河川に遡上するが、那珂川の鮭が最も美味である」水戸藩では、初代藩主徳川頼房が那珂川のサケを幕府と朝廷に献上したことが通例となり、毎年最初の漁で獲ったサケを献上していました。また、わが国におけるサケの人工ふ化と放流も、明治9年(1876)の那珂川での試験が始まりとのことです。◆川でサケを捕ること、まかりならん冬に川でふ化したサケは春に海へ下り、オホーツク海など北方の海を回遊しながら成長し、わずか3%の回帰率で、多くが4年目に生まれた川を遡り産卵します。この親魚を保護し漁業資源を守るため、昭和26年に制定された「水産資源保護法」の第25条で、河川でのサケの採捕は禁止されました。しかし、人工ふ化を行うための親魚確保を目的として、農水大臣の認可を受けた漁協組合員の漁は認められており、久慈川のサケは購入できませんが、那珂川のサケは食用として指定販売業者から購入できます。◆忘れられつつある常陸大宮のサケ文化「サケノオ」。年配の方なら、親しみを込めて今でもサケをこう呼びます。「サケノウヲ(鮭の魚)」が変化したものでしょう。現代の私たちが映像で見るアラスカの川のように、かつては久慈川や那珂川をサケが大群で遡上していたと考えられます。そのような土地に住んでいた私たちの祖先にとって、食料が乏しくなる冬に向け、サケはたいへん貴重な魚であり、独自のサケ文化を作り上げ執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執らないことなどがあげられます。しかし、法律によって私たちの食卓から久慈川や那珂川のサケが遠い存在となってしまった上、近年では、塩引鮭の贈答はめっきり減り、正月の食事も、家例を守る家は少なくなっています。加えて、流通の発達により人々の嗜好が脂の乗った魚へと移り、川に戻って脂が落ちたサケに対する評価は下がり、那珂川のサケを好む人は少なくなっています。西日本の河川でも捕れるアユより希少価値の高いサケ、遡上は増えているのに何とも勿体ないではありませんか。◆サケの伝統漁法と野田の鮭留市内那珂川のサケの漁法には、オトリ網漁(別名チリン漁)、流し網漁、イクリ網漁、ヒボリ(火振り)漁などがあります。このうち、操船や勘どころに熟練を要するイクリ網漁とヒボリ漁は、現在ほとんど行われていません。いずれの漁も、サケの習性に基づいて夜に行われるため、その様子を見ることは困難です。また、平成10年頃まで、栃木との県境付近で行われた建網漁は、舟道を除く川幅一杯に張った建網でサケをいくつもの大きな角型のウツボ(筌)に誘導し採捕するもので、朝夕2回ほど水揚げを行っていました。この建網のため、栃木県にはほとんどサケが上らなかったとのこと。この不公平な漁は、水戸様のご威光が元にあり、初代頼房の時代より、河口付近と常陸・下野国境に、鮭留といって竹を編んだ簗を設置し、那珂川の鮭を水戸藩で独り占めしていた名残でした。◆サケ文化の復興と川環境の改善江戸時代に常陸とともに最上のサケが捕れるとされみおもてがわた越後(新潟県)では、村上市が三面川のサケ漁とサケ文化を資源として活用し、「村上といえば鮭!」を合言葉に力を入れています。塩引にするサケは、適度に脂の抜けた遡上サケでないと、酸化が進んで味が落ち、独特のうまみも生まれないとのことです。今年の盛夏、市内の那珂川と久慈川には、藻類が異常に繁殖し、アユやウナギの姿が消えました。私たちから川のめぐみが遠のくほど、川に対する思いも薄れます。積極的な水産資源の活用が地域活性化の糸口となり、また、本当の“清流”を取り戻すことにもつながっていくのではないでしょうか。※オトリ網漁:垣網中のおとりのメスに誘われ仕掛けに入ったたと思われます。その遺風として、歳暮の塩引(新巻)執鮭の贈答や、多くの家々で正月のハレの食事に焼いた執サケが、水中の脈糸に触れると、鈴が鳴るとと執もに入口の網が落ちる仕組み。塩引が食されること、また、初午に県境の地域で作ら執れるシモツカレの食材として、塩引の頭がなくてはな執歴史民俗資料館大宮館緯52-1450やな▲那珂川に仕掛けられたサケのオトリ網広報常陸大宮22平成27年12月号