ブックタイトル広報かすみがうら 2015年12月号 No129

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概要

広報かすみがうら 2015年12月号 No129

文芸ひろば詠歌の紹介投稿作品音もなくすすき穂揺るる川土手の水面に写る昼の月影沽野はつ子人生を地味に生きるも樂しかり五弁の白き枇杷の花咲く石塚清歩み来て九十四歳われに問う失いしものと手に入れしもの髙橋フミ臥す我に秋運び来る友のあり黄金銀杏や菊柚子野菜渡辺静江父の遺した漱石全集の初版本高く売れると若きが宣う菅谷咊子ラマンチャの風に吹かれて丘に立つ朝陽に白き風車耀やく中島良平北き風た吹くやぽつりと灯ともる帰り道扶美世千代田俳句同好会16かすみがうら出島短歌会ジャスミンの香をすくい取る朝の空にひろがる宴の時間浜田留子鳴り止まぬ砂の降る音冬のきて浜昼顔の地に低く咲く岡田恭子咲きました皇帝ダリヤ桃色の大空バックにああ皇帝ダイヤ飯島ヒロエ掃除機にコウロギさんを吸っちゃった慌てて出したらきょとんとしてた名倉子寒き夜は亡夫のぬくみを思ひつつ一人わびしく眠りに入りぬ小室貞江▼投稿作品(俳句・短歌・川柳)を募集しています。1月4日月までに情報広報課(〒300-0192大和田562番地)へお願いします。枯れ菊になお色のあり香りあり小松崎緑頂上へ続く坂道木の実降る小松崎正生芭蕉忌の奥の細道歩きけり榊原清志鍋かこむ湯気のむこうの笑い声坂部幸子土手に這ふ冬たんぽぽの首みぢか桜井愛子青見紫陽花俳句会ひんやりと急ぐタンスの冬支度飯田功生きている今を大事に冬仕度久保庭悦子馴れぬ地で被災家族の冬用意車田きみいとおしく鍬鎌洗い冬仕度田能幸雄どの風もうけて蓮田の枯れてゆく萩原とし子市民学芸員が語るシリーズ?ジオパーク構想豆知識問郷土資料館?029(896)0017歌人に親しまれた志筑かすみがうら市北部に位置する「志筑」が最初に記録に登場するのは、『常陸国風土記』です。茨城郡の条文に「郡より西南に、近く河か間わ有り。信しづく筑の川と謂いう」と記されています。また、平安時代の万葉集などの歌集に「しづくの山」「雫の森」「師しづく付の田たい井」などいろいろな表記がされています。これらのことから千年も前から「しづく」の地名は存在していたようです。志筑地区北部の恋瀬川沿いには「鹿島やわら」という湿地帯があり、地層的にも保湿力が強く豊かな水田を有しています。この湿地帯の中に「井」があり、昔から神官の一族がこの「井」に〆飾りを施していました。これが「師付の田井」です。(今でも10月15日に行われています)奈良時代に国の役人として常陸国府に赴任した高橋虫麻呂の歌が万葉集にあります。この歌に「師付の田井」が登場します。歌からは、筑波山から筑波の裾野に広がる信筑川(恋瀬川)流域の広大さや晩秋の景観となる志筑の田んぼの情景に酔いしれた様子がうかがえ、国司として、国力を山の高い位置から視察する中で歌ったものと考えられます。志筑地区は古代においても人口密度が高い所でもあり大きな村落を形成していたため、歌に歌われる対象となったと思われます。その他、「師付の田井」には、説話として1日やまとたけるのみこと本武尊が水飲みの器を落とした井2鹿島の神が陣を張って炊事用に利用3この水は鹿島の御みたらし手洗池に通じているなどがあります。いずれも、田井が地域の方々によって特別視され、大切に守られてきた井戸であることがわかります。また、江戸時代に「志筑」が名所として再び広まるきっかけとなったのは、文殊院で開かれた句会です。江戸時代における歌人の世界では、「志筑」という地名は重要視されていたようです。このように志筑が名所とよばれ多くの人々が集う理由は、自然が生み出した景観でした。この景観は、いつの時代も人々の心に残り、それを歌人は歌にしていきます。次回は「富士見塚古墳公園と柏崎窯跡群」について紹介します。(深井征一郎)