ブックタイトル広報かさま 2015年12月号 vol.117

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概要

広報かさま 2015年12月号 vol.117

超高齢社会を迎え肺炎は増加、2011年から脳血管疾患を抑え死因の第三位です。2014年10月より65歳を対象に成人用肺炎球菌ワクチンが定期接種化され、2018年までに65歳以上全員が接種できるよう現在経過措置中です。肺炎球菌は肺炎の最も重要な起因菌であり、厚い膜(莢きょうまく膜)で覆われ白血球による貪食を免れるため重症化しやすいのです(敗血症や髄膜炎など)。莢膜成分由来の成人用ワクチンは、抗体産生を促し肺炎の重症化を防ぎます。莢膜抗原は93種類報告されていますが、重症化を起こしやすい23種類の成分に対応しています。肺炎球菌は乳幼児の敗血症・髄膜炎の起因菌でもあり、2013年4月から小児用ワクチンが定期接種で受けられるようになりました。免疫力不十分な乳幼児では成人ワクチンが効かず、莢膜成分に毒素由来蛋白質を結合させる工夫が必要でした。対応する莢膜成分は小児に重症感染症を起こす7種類でしたが、鼻咽頭粘膜の定着も阻止するほどの効果を示しました。驚いたことに接種が普及した地域では、小児のみならず高齢者の肺炎球菌感染症が激減しました。小児への接種が高齢者への伝播を防ぎ、集団としての免疫を高めたのです。それなら高齢者への接種は不要とか、高齢者にも小児用ワクチンを打ったほうが良いとか思われるかもしれませんが、現実は甘くありません。小児用ワクチンの普及の結果、対応していない種類の肺炎球菌感染症が増加しています。小児用は13種類の抗原を含むよう改良され、高齢者には従来からの成人用が推奨されています。肺炎球菌ワクチンは肺炎予防に有効ですが、過信は禁物です。菌は唾液の飛沫にのって伝播し、鼻咽頭粘膜に定着します。唾液の誤嚥やインフルエンザ感染による気道粘膜障害をきっかけに、深く侵入し増殖します。手洗い、うがい、口腔ケア、インフルエンザワクチン接種など、多角的対策が必要なのです。肺炎球菌ワクチンの効果―小児用ワクチンと成人用ワクチンの関係―笠間市立病院石いしつか塚恒つね夫お笠間の歴史探訪27笠間小学校北の枡形の信号を東へ折れ、笠間日動美術館前を経て佐白山麓公園入口を過ぎた先が曹洞宗五台山玄勝院前です。山門をくぐり右手の緩やかな坂道を上り詰めた所に広がる左手の墓碑群の一画に、見事な隷書体で刻まれた亀井有斐と袖そで子こ夫人の墓碑が建っています。有斐は幕末から明治三十年代に、笠間の書の世界で令名を馳せた人物です。文政九年(一八二六)六月、有斐は水戸・城東で米殻商と搾油業を営む栗田雅まさふみ文の二男として生まれました。実名を直ちょ、く通称を亨こうじろう二郎といい、雅号を有斐・竹ちくどう堂・桂けいじょう城そして書しょ癡ち山さんじん人を名乗ります。商家ながら、父雅文・長兄恭きょうとく徳共に漢学や日本の古典に造詣が深く、書を嗜み流麗な作品を残しています。有斐の弟寛ひろはし水戸藩彰考館総裁豊とよ田だ天てんこう功に学び、認められて同館に入り、二代藩主徳とくがわ川光みつくに圀が着手した『大日本史』編さん事業の完成に情熱を注ぎました。最終的に寛の死後、養子勤いそ(し有斐の三男)が完成させています。寛は明治政府に出仕、明治二十五年(一八九二)に東京帝国大学文科大学(現在の東京大学)国史学科の教授に就任、死の直前に文学博士号を授与されました。嘉永四年(一八五一)、有斐は笠間城下、大おおまちしも町下の亀井時ときゆき行家(笹屋)の養子となります。当時、亀井家は現在の常陽銀行笠間支店の位置で呉服商を営み、江戸・日本橋の三みつ井い八はちろうえもん郎右衛門家とも取引をし、笠間城下の五か町の町役人を務めていました。亀井家の家業を継承した有斐は、明治二十八年、六五歳で家業を退き、冨士山への道筋に沿った隠居所で書三昧の晩年を過ごし、同三十七年六月一日、七九歳で亡くなりました。有斐は、楷書・行書・草書・隷書のいずれの書体にも通じていたといわれます。弟栗田寛博士が「仲ちゅうけい兄(有斐のこと)書ヲ善よクス。尤もっモと八はっぷん分ニ長ちょジう、名声遠おちこち近ニ譟さわがシ」と語るように、有斐はとりわけ隷書体の中の八はっぷんれい分隷という書体を得意としました。七七歳の喜寿を機して亀井家の菩提寺玄勝院に建立した墓碑銘が、八分隷の書体を知るのに最適です。碑の裏面に、自分の歩みを略述しています。他にも有斐の書になる碑が各地に建てられています。(市史研究員矢やぐ口ち圭けい二じ)玄勝院の亀かめ井い有ゆう斐ひの墓碑亀井有斐の墓碑(玄勝院)市立病院の医療コラム48平成27年広報かさま12月号(vol.117)13