ブックタイトル広報もりや 2015年11月10日号 No.617

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広報もりや 2015年11月10日号 No.617

広報もりや2015.11.1011●問合先市役所秘書課内線322進藤祝♪マインブルク市との姉妹都市締結25周年11月4日から7日間、ドイツ・マインブルク市から、市長を始め17人の市民訪問団が守谷を訪れました。今回は姉妹都市についてご紹介します。マインブルク市と姉妹都市締結が調印されたのは、平成2年11月3日のことでした。そこからさかのぼること2年。昭和63年に、当時の町長と町会議員が、アサヒビールの仲立ちで、マインブルク市を訪問したのが交流のきっかけでした。マインブルク市は、世界有数のホップの生産高を誇るハラタウ地方に位置します。アサヒビールがホップ「ホップ」と「フィルム」が結んだ友好関係「守谷の魅力を掘り起こします!」守谷市シティプロモーションを輸入していた縁で、両市に絆が生まれました。また、同年8月に、守谷町から第1回青少年海外派遣団24人がアメリカへ渡りました。当時、町内には世界最大の写真用品メーカーのひとつ、コダック社の配送センターがあり、子どものたちのホームステイ先となったのが、アメリカコロラド州にあるコダック社の社員宅でした。その3年後、当時お世話になった近郊都市のグリーリー市との姉妹都市締結(平成5年8月3日)へとつながりました。国際交流の拠点として、国際交流研修センター(ログハウス)が完成したのも平成2年11月のことでした。当時、総丸太づくりの公共施設はまだ珍しく、当時の町勢要覧には「お互いに人の話を聞いたり、意見を出したり勉強したり、食事会をしたり…」と、完成を喜ぶ当時の町民の夢が語られています。ログハウスの歴史25年の間には、22か国の大使による講演会や音楽会、パーティや勉強会など、現在も一年を通して、人が集う場となっています。昭和63年、「姉妹都市交流推進の母体となる組織を作り、もっと交流を深めよう」そんな思いから、町民が主体の国際交流協会(MIFA)が発足。海外から守谷へ来訪がある度に交流会を企画・開催するなど、姉妹都市との友好関係を、市民レベルで深めてきました。青少年派遣団として初めて守谷の中高生が姉妹都市を訪れてから四半世紀。当時平均15歳だった最初の派遣団は、40歳(!)になっています。メンバーの中には、その時の貴重な経験を生かした職業についていたり、姉妹都市から来日した高校生をホストファミリーとして積極的に受け入れている方もいます。今年の夏、青少年海外派遣団としてマインブルクを訪問した中高生が、今度はマインブルク市訪問団を歓迎する立場になり、さまざまな企画に携わっています。そんな小さな、人と人との交流の積み重ねが守谷市と姉妹都市の絆を深めています。姉妹都市との交流は、これまで公式なものだけでも54回。これからも末永く、友好と親善の絆が続くといいですね。マインブルク市と姉妹都市締結がされた平成2年頃は、守谷町の人口が年間に2~3000人ずつ増えた時代。守谷町の工業団地の都市計画決定(昭和63年)を受けて、全国から60社にも及ぶ企業から、立地希望が寄せられました。「日本最大」の規模を誇るアサヒビール茨城工場が平成3年に完成。当時、アサヒビール創業100周年を記念して作られました。現在も、工場見学施設には、市内外から多くの方が訪れています。日本コダック守谷配送センターは、時代の変遷とともにフィルム写真が主流でなくなったことにより、現在はなくなっています。インターナショナルな守谷の象徴ログハウスとMIFA「人」と「人」とが紡いできた歴史そして、未来へ今月の魅力PickUp!このコーナーでは、守谷市ならではの取り組みや魅力を紹介します。▲日本文化を体験▲市民レベルの文化交流