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概要

利根町勢要覧2015

花輪台のヴィーナス縄文時代早期の遺跡である花輪台貝塚から発見されました。日本最古級の土偶で、均整のとれた女性のフォルムが表現されています。その美しさから花輪台のヴィーナスと呼ばれています。庄兵衛台遺跡出土の壷大平地区にある庄兵衛台遺跡では住居跡が見つかりました。古墳を築いた人々が住んでいた地域と考えられています。住居跡からは壷などの暮らしの遺物が発見されました。利根町の歴史の源流を訪ねてみましょう。利根川図志をひも解いて、民俗や風俗を書き記した書物。「利根川図志」は、江戸末期のLearningfromToneRiverHistoricalDocuments郷利と土根ねの川が歴図わ史志ずにし学ぶDiscovering Tone Historyです。全6巻中、第3巻に利根絵馬が奉納されています。て記されたのが「利根川図志」羅神社には当時の繁栄を伝える暮らす人々との深い関わりについ見せていました。布川の金刀比利根川と大地、そして流域にえ、沿岸の河岸場はにぎわいをました。資輸送の大動脈として舟運が栄もるにう利根…こ町うのし礎ては、形づ川くのら流れれてときとす。当時の利根川は江戸への物い」と繁栄の様子を伝えていまし、時には洪水となって猛威を振さに魚米の地と呼ぶにふさわします。時には潤いと恵みをもたらど人の往来が激しい。(中略)まから住居跡や土器が見つかっていさまじく、きびすを接し合うほ文早期の遺跡、花輪台貝塚などいは、他の所に倍し、人声もす人々が暮らしていたようです。縄布川河岸について、「そのにぎわ今からおよそ8?9千年前にはと呼応するように栄えた当時の水の恵み豊かな利根町域には、述です。対岸であった木下河岸た川とともに歩んできました。布川河岸のにぎわいについての記ちの祖先も利根川をはじめとしれています。特に興味深いのは、の流れとともにあります。私たも残る建物や伝統行事が記録さ古代から人々の暮らしは、川町域についての記述があり、現在流域の暮らし利根川とともにある蛟神社みずち碑「みずち」とは竜の形をした大蛇だと言われています。昔、利根町の文間台は「親みずち」、取手市の小文間台は「子みずち」に例えられました。織りなす風景が、豊かな水を泳ぐ親子の蛇のようだったと伝えられています。蛟神社「門の宮」と「奥の宮」の2社殿からなる神社です。孝徳天皇3年(647年)に水神を、文武天皇2年(700年頃)に土神を祀ったのが始まりと伝えられています。延喜式神名帳にその記述を見ることができ、古い歴史のある神社です。18