ブックタイトル広報あみ 2015年11月号 No.656

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概要

広報あみ 2015年11月号 No.656

3人と自然が織りなす,輝くまち町村合併60周年記念特別寄稿?非常に遅れていた土地区画整理事業の着実な実施による幹線道路の整備、グレードの高い市街地の形成など。(荒川本郷地区・中郷地区・岡崎地区・鈴木地区)?生活環境、福祉施設等(霞・さくらクリーンセンター、総合保健福祉会館「さわやかセンター」、うしくあみ斎場、地区公民館等)の集中的実施と効果的行財政改革による過大債務の解消。?圏央道の開通に先行して実施した、県施行の「阿見東部工業団地」「阿見吉原東土地区画整理事業」の成果を生かした、多くの優良企業や「あみプレミアム・アウトレット」誘致等の事業展開。?戦後60年を迎え、風化の恐れのある予科練の歴史を正確に整理保存して、全国に発信することを目的に進めた「予科練平和記念館」の建設と運営。?アメリカのスーペリア市、中国の柳州市を中心に交流を進め、多くの町民や中学生に国際化体験の継続的実施を実現した「国際交流事業」の定着。その他、まだありますが、今から60年前、当時の4町村が合併して現在の阿見の枠組みが出来ました。この度、合併60年を迎えての記念式典が行われますこと、誠におめでとうございます。私はこの合併時点でちょうど20歳、東京で学生生活を送っていました。その後も学業や仕事の関係で20年近く阿見町を離れていて、改めて阿見町の住人として住み着いたのは昭和49年のことでした。この間、阿見町の住民ではなくてもしばしば生まれ故郷を訪れ、阿見町の発展動向には深い関心を持ち続けていました。そして、住宅団地や工業団地の発展状況を見つめ、農業主体の町から、都市的な要素も加わった町に変化しつつあることを期待のまなざしで見守っていました。特に昭和37年から茨城県に勤務することになり、多少経験を重ねてからは、少しでも阿見町の役に立つことはできないだろうか、と考えるようになりました。一つの事例をあげますと、県立医療大学の誘致の際に、必ずしもスムーズに行かない状況の中で、知事の指示を受けて入院中の町長に働きかけを行ない誘致実現に結びつけたことなどは思い出に残っています。そして、全く思いもかけず、平成6年2月の選挙を経て私が阿見町長に就任という事態が発生しました。このあと結果的には60年の4分の1強に当たる4期16年にわたって町の責任者として、町民の皆さんのご理解、ご協力をいただきながら、郷土・阿見のまちづくりに努めることになったのです。このあとは、字数の関係もありますので、私が任期中に取り組み、合併後60年間の成果として残された主要な事柄について箇条書き風に書き留めてみたいと思います。字数の関係で省略させていただきます。いずれにしてもこれらの成果の数々は、多くの町民の皆さんのご理解とご協力によって実現したものです。今回、阿見町町村合併60周年記念の特別寄稿を求められた機会に、改めて町民の皆さんに心からのお礼を申し上げます。なお、現在、阿見町では「阿見町第6次総合計画」により、「人と自然が織りなす,輝くまち」をテーマに次なる「まちづくり」に取り組んでいます。これまでの60年の成果をふまえ、新しい条件、新しい観点を組み入れながら、素晴らしい阿見町づくりを進められることを期待いたします。町村合併60周年を迎えて町村合併60周年記念特別寄稿実穀川田弘二川田弘二さん昭和10年実穀生まれ。昭和37年から平成6年まで茨城県庁に勤務。この間、農地部長、企業局長を歴任。平成6年3月から平成22年2月まで阿見町長(4期16年)。この間、茨城県町村会長、全国町村会副会長を歴任。▲町村合併時の阿見町役場庁舎▲昭和46年の阿見小学校周辺