ブックタイトル広報かすみがうら 2015年10月号 No.127

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概要

広報かすみがうら 2015年10月号 No.127

人の数は10万人に及ぶとされています。アメリカ軍の上陸があった沖縄では多くの特攻隊員が出撃し、若い命を落としました。また、激しい戦闘に巻き込まれ亡くなった一般住民、日本軍の命令で強制集団死していった方など約20万人の尊い命が失われました。かすみがうら市の戦争遺跡かすみがうら市内には、戦争時を物語る跡がいくつか残されています。坂の慈眼寺の裏山には、監視所があって地域の方が交代で任務にあたっていました。加茂の平川には、防空壕が遺されています。現在、入ることはできませんが地域の方が利用した話が伝わっています。その他、土浦海軍航空隊は霞ヶ浦で様々な訓練を実施していましたので、霞ヶ浦の湖底に眠る戦争遺物が時折、漁網にかかり引き上げられることがあります。これまで軍用機のプロペラや模擬魚雷などが発見されており、郷土資料館で保管しています。模擬魚雷は、軍用機の機体に取りつけられ、霞ヶ浦に浮かべられた的をめがけて落とされた練習用の魚雷と考えられるものです。船体のほとんどは木製で造られており、全体をオレンジに塗装し「霞空隊」と白文字で記されています。かすみがうら市は、軍需工場や飛行場などが設置されていなかったため、空襲を受けることはありませんでしたが、各地で機銃掃射を受けた話、落とされた爆弾が不発弾となって埋没している話、一方で苦しい戦時中の生活を物語る資料が残されています。また、戦地へ赴いた方々の遺品も数多く残されており、出征旗・軍事郵便・写真などたくさんの資料が資料館に保管されています。2年前に太平洋戦争時の特攻隊員を主人公にした百田尚樹著『永遠の0』が映画化されましたが、主人公の宮部久蔵のモデルと考えられる人物が、実はかすみがうら市の方でした。宍倉の角田和男さんです。角田さんは、惜しまれつつ2年前に亡くなられましたが、零戦▼お知らせ郷土資料館では、戦争体験者が少なくなる中、戦争について語り継がれる機会も減少していることに鑑み、戦後70年となる今年、企画展「語り継ぐ太平洋戦争」を11月1日日まで開催しております。戦争への反省と永遠の平和国家を考えていくきっかけになればと思います。ぜひ、ご来館ください。の優秀なパイロットとして多くの文献に紹介されています。生前は、自らの体験を「修羅の翼」に著すとともに、戦友の遺族訪問を全国的に展開しました。終戦から70年に何を考えるか今から70年前に、日本国の存続のために我々の先祖は戦争を行いました。家族や友人を思う気持ちは、国を思う気持ちとなり、それらを守るべく一身に戦いました。現在、すばらしい日本国が存続していることは、すべて純粋な気持ちで露と消えた英霊のお蔭であることを忘れてはなりません。一方で、日本はこの戦争の経験から、二度とあのような悲惨で残酷な状況を生み出さないために平和とは何かを問い続けています。しかし、戦争経験者が少なくなり、戦争に関する情報が伝わらなくなると、戦争に対する認識が薄くなってしまいます。現代社会に生きる我々が次世代に戦争に関する情報を引き継がねばならないことも忘れてはなりません。過去から未来を創造し、すばらしい日本国を存続させるため、70年前の日本人の気持ち、戦争をしてしまったこと、改めて考えてみてはいかがでしょうか。そして、子から孫へ伝承し、いつの時代も平和な社会が引き継がれるような環境を整えていきましょう。?市内の民家が機銃掃射された際に打ち込まれた弾丸の薬莢?政府から出された婦人常会への協力依頼の手紙。軍用の芋がらや軍馬用の茶がらの提供を婦人会へ依頼しています。志戸崎にあった監視所の様子を伝える一枚▲霞ヶ浦湖底から引き上げられた霞ヶ浦海軍航空隊の模擬魚雷かすみがうら3