ブックタイトル茨城県近代美術館/美術館だより No.102

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概要

茨城県近代美術館/美術館だより No.102

茨城県天心記念五浦美術館展覧会紹介没後70年ひだしゅうざん飛田周山展―五浦で学んだ画家たち会期:10月24日(土)~12月13日(日)休館日:月曜日※ただし11月23日(月・祝)は開館、11月24日(火)は休館開館時間:午前9時30分~午後5時(入館は午後4時30分まで)入場料:一般620(510)円/高大生410(310)円/小中生210(150)円※()内は20名以上の団体料金※満70歳以上の方及び障害者手帳等をご持参の方は無料※土曜日は高校生以下無料※11月13日(金)は茨城県民の日のため入場無料主催:茨城県天心記念五浦美術館助成:公益財団法人三菱UFJ信託地域文化財団後援:茨城新聞社/朝日新聞水戸総局/毎日新聞水戸支局/読売新聞水戸支局/産経新聞社水戸支局/東京新聞水戸支局/NHK水戸放送局/北茨城市展覧会の概要茨城県北茨城市生まれの飛田周山(1877~1945)は、明治33(1900)年日本美術院研究所に入り、橋本雅邦に師事します。日本絵画協会日本美術院連合絵画共進会に入選するなど日本画家として活躍する一方、明治36年に岡倉天心を郷里北茨城市の五浦海岸に案内しています。天心はこの地に居を定め、これを契機に3年後の同39年日本美術院第1部(絵画)の五浦移転、すなわち横山大観、菱田春草、下村観山、木村武山ら4人の五浦での研鑽の日々に結び付くことになります。周山はその後日本美術院と袂を分かち、文展・帝展に場を移して活躍しますが、一方で大正12年から始まる茨城美術展覧会では大観、小川芋銭らと共に顧問となって審査にあたるなど、茨城の美術文化向上の一翼を担いました。周山没後70年を機に開催される本展では、天心を五浦に案内した人物として広く知られながらも、本格的に画業を顧みられることの少ない周山の芸術を文展や帝展の出品作を中心とする優品により紹介します。また、五浦の日本美術院研究所で大観、春草ら4人に刺激を受けながら研究を重ねた安田靫彦、今村紫紅、勝田蕉琴、尾竹竹坡、高橋広湖らの作品も併せて展示することで、五浦での絵画研究がその後の画業にどのような影響を与えていったのか、さらには日本近代美術史における五浦の位置付けについても考えたいと思います。見どころ昭和59(1984)年に茨城県立美術博物館で回顧展が開催されてから30年以上が経ち、今一度周山の芸術にスポットを当てようと企画しました。しかし、文展や帝展の出品作の多くが行方不明となっている現在、その全貌を明らかにするのは容易ではありません。そのため、茨城県の内外で積極的に作品調査を行い、これまで広く知られていなかった作品を多数紹介することを目指しています。その一つが福島県本宮市にある蛇の鼻御殿杉戸絵です。豪農伊藤家の屋敷のために描いたもので、杉戸6枚にわたる大画面に大きく描かれた老松の姿は雄壮ながら繊細な表現で、障壁画にも優品を遺したことをうかがい知ることができます。今回の調査では、周山と行動を共にすることの多かった勝田蕉琴の描いた六曲一双の?風が、?風に仕立てられることなく12枚バラバラのまま箱にまるまっているのを発見。その後下図だけが残されていた幻の作品であることが判明しました。こうした新発見の作品を展示することも本展の見どころの一つです。[天心記念五浦美術館主任学芸員中田智則]飛田周山「蛇の鼻御殿杉戸絵『老松図』」(部分)さと大正12(1923)年花と歴史の郷蛇の鼻蔵飛田周山「星合いのそら」大正4(1915)年個人蔵高橋広湖「馬上の誉(加茂競馬)」明治41(1908)年三溪園蔵[展示期間:10月24日~11月23日]3