ブックタイトル広報 常陸大宮 2015年9月号 No.132
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広報 常陸大宮 2015年9月号 No.132
常陸大宮市◇二十四輩巡拝のにぎわい? ? ? ? ? ?~鷲子善徳寺の有髪の親鸞聖人座像~Vol.6◇珍しい有髪の親鸞像欝欝善徳寺の宝物のひとつに、親鸞聖人の有髪の像が欝あります。親鸞は、宗教者もそうでない人も、念仏欝欝さえ唱えれば分け隔てなく極楽往生できるというせんじゅねんぶつ欝「専修念仏」を広めました。自ら「僧でもなく俗人で欝もない」ことを表現するため、髪を剃らず、僧侶に欝欝は禁じられていた肉食や妻を持つことを実践しまし欝た。誰にでもわかりやすい教えは、多くの庶民の支欝欝持を集めたため、旧来の仏教宗派などからの攻撃に欝遭い、建永2年(1207)、僧籍を剥奪されて越後に流はいる欝欝罪となりました。この有髪像は、5年にわたる配流欝の時の姿ではないかとも考えられます。欝欝▲「二十四輩順拝図会」後編第2巻欝しんらん鎌倉時代、浄土真宗を開いた親鸞は、その死後も欝欝子孫や弟子たちが各所で教えを広めていきました。欝にじゅうよはい「二十四輩」は、親鸞に直接教えを受けた関東の弟子欝かくにょ欝たちを、親鸞のひ孫の覚如がのちにまとめたものと欝ぜんいわれ、そのうちの6か寺が市内に存在します。善欝ねん欝念が開いた善徳寺(鷲子)もそのひとつで、建保元欝年(1213)頃、南酒出(那珂市)に草庵を創ったの欝ぜんみょう欝が始まりとされ、3世善明の正和3年(1314)に現欝欝▲有髪の親鸞座像在地に移ったとされています。欝像は、高さ47.5cm、巾47cmの寄木造の座像で、制その後、延徳元年(1489)に火災に遭い、再建さ欝作時期は江戸時代前期から中期頃と考えられます。もうすれたのは寛永7年(1630)のことでした。これが現欝欝首に帽子(僧が防寒のため頭にかぶったり首に巻い在の本堂で、市の指定文化財になっています。欝たりしたもの)を巻き、法衣をまとい、その上から善徳寺は、那須街道沿いに家並みが続く鷲子宿の欝欝袈裟を掛けています。最大の特徴は、毛筋彫りに表北西端に位置しています。文化6年(1809)頃に描欝した頭髪の表現で、肩までの長髪を両耳に掛け、後かれた「二十四輩順拝図会」には、緒川に沿った街欝欝ろに流しています。髪を剃った僧形の親鸞像は多く道の両側に、鷲子宿の萱葺きの民家が建ち並ぶ様子欝残されていますが、有髪の木像はたいへん珍しく、が描かれています。幕末に描かれた鷲子村の絵図で欝全国でも数体が確認されているのみです。県内で欝も鷲子宿にはぎっしりと家並みが書き込まれてい欝は、日立市専照寺に有髪の親鸞の肖像画「有髪の御て、にぎやかだった宿の様子がわかります。影」が伝わりますが、こちらは短髪の姿に描かれています。しかし両者とも、親鸞の壮年期の様相と見ることができ、越後配流の時35歳であったことを考えるとふさわしい表現といえるのかもしれません。また福岡県の浄慶寺には、毛髪を植えた親鸞聖人の座像が伝わっています。*********お知らせ*********▲鷲子村絵図の「鷲子宿」欝欝欝欝欝欝欝欝欝欝欝欝欝欝欝欝欝欝善徳寺は10月17日(土)、18日(日)に行われる指ばくりょう定文化財集中曝涼の公開場所となっています。両日は有髪の親鸞座像を含め、本堂、太子堂の仏像が一般こう公開されます(悪天候の場合変更あり)。鷲子宿や河とじょう内城などの周辺景観とあわせてお楽しみください。文書館?52-0571広報常陸大宮19平成27年9月号