ブックタイトル広報ひたちおおた 2015年9月号 No.646
- ページ
- 4/22
このページは 広報ひたちおおた 2015年9月号 No.646 の電子ブックに掲載されている4ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
このページは 広報ひたちおおた 2015年9月号 No.646 の電子ブックに掲載されている4ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
広報ひたちおおた 2015年9月号 No.646
ここでは当市出身の実業家梅津福次郎について紹介します。梅津福次郎伝缶詰・味噌・醤油・雑貨そした。営業品目も和洋酒・食料品・森で85才の生涯を閉じまし業、事業をどんどん拡大し、月に、販売を始め、その後酒店へ転昭和病気17(療1養9で4訪2れ)た年青6夫人とともに雑貨食料品類の太田の近代化を支えました。さな店舗修所の建設に寄付し、常陸明治の16(あ1883る借家に)移年、り小、二高、若宮八幡宮、西山研津会館のほか久昌寺、太田天賦の商才と勤勉努力。函館で巨万の富を築く商売の才で繁栄陸太田のことを忘れず、梅タケ子夫人と福次郎福次郎は、常に郷土・常晩年の福次郎でした。け働く」というのが彼の信条限り、精魂を傾けて働けるだきないことをして、体の続く建物は函館市内に今も現存す。「人には容易に真似ので2倍も3倍も働いたといいまモルタル造りです。野菜を売り歩き、1日に人の年の大火後に建てられた木造天秤棒をかついで塩引き鮭や残る建物は、昭和9(1934)道へ旅立ちます。函館に渡り、建し商売を続けました。現在婚間も明治ない13(夫18人とと80も)に年北、海新舞われましたが、いち早く再福次郎の店も4度の大火に見村下井戸に生まれました。当時の函館では火事が多く、(1858)年、久慈郡太田大火と店の変遷梅うめ津づ福ふく次じ郎ろうは安政5誕生から函館へて煙草まで販売しました。二孝女資料里帰り展市では、青蓮寺(東連地町)に伝わる二孝女物語を縁に、10月に大分県臼杵市と姉妹都市を締結することになりました。姉妹都市締結記念として、臼杵市で保存されている資料を展示しますので、ぜひご来場ください。期間:10月10日土~16日金場所:梅津会館1階常設展示室※10月17日土・18日日は、青蓮寺(東連地町)に展示します。また、10月21日水から12月6日日まで、梅津会館での企画展「豊後国の二孝女物語」でも展示します。郷土資料館梅津会館の利用案内場所西二町2186(駐車場は梅津会館の向かい)開館時間午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)※祝日も開館休館日休館日:月曜日・年末年始(12/29~1/3)その他会議室・展示室などの利用についてのお問い合わせは文化課? 72‐3201まで二孝女物語とは?豊後国の二孝女物語は、江戸時代後期、旅の途中で病に倒れた父を迎えにいくため、「つゆ」と「とき」という若い姉妹が、豊後国臼杵からおよそ1200km離れた、常陸国東連地の青蓮寺まで旅をしたという実話です。広報ひたちおおた2015年9月号4常陸太田市役所72-3111