ブックタイトル広報しろさと 2015年9月号 No.128

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概要

広報しろさと 2015年9月号 No.128

【身体的虐待】○身体への暴行(叩く、つねる、やけどをさせる等)○身体拘束(ベッドに縛り付ける、意図的に薬を過剰服用させる)高齢者虐待をご存じですか?【心理的虐待】○怒鳴る、ののしる、悪口を言う○失敗を嘲笑し、言いふらす○高齢者が話しかけても意図的に無視する~全国で年間1万件以上もの高齢者虐待が起きています~【経済的虐待】○高齢者の金銭や財産を本人の同意なしに使う○日常生活に必要な金銭を渡さない・使わせない【介護・世話の放棄・放任】○入浴・散髪させない(劣悪・不衛生な生活の放置)○必要な医療・介護サービスを利用させない【性的虐待】○高齢者へのわいせつな行為の強要○性的なはずかしめ(裸での放置)※認知症及び高齢者虐待など高齢者に関するご相談は保険課内の城里町地域包括支援センターで受け付けています。問合せ城里町地域包括支援センター(保険課内)?029-288-3111(内線145)--の三つの郭から構成されています。くるわ?0292883135城域は、「本城」「中城」「兵庫坪」問合せ教育委員会事務局ほんじょうなかじょうひょうごつぼにより廃城になったとされています。解説文/町文化財保護審議会会長小山映一が支配し、同氏の秋田移いふう封(慶長七年)伝えること」等が刻まれています。ています。室町時代以降は、佐竹氏碑を建てて郷土勤王の発祥を後世に臣流の那珂氏とする説が有力となっの下江戸に住んでいること。4記念とみたとされていますが、近年では大と。3子孫の那珂権兵衛が今も対岸中おおなか流藤原姓の那珂通みちやす泰や通辰が居住しれて常陸太田市増井町で自刃したこみちとき辰は楠正家と共に瓜連城で戦い、敗明確ではありません。通説では秀郷ひでさと月に県史跡に指定されたこと。2通れています。室町時代以前の城主は、を起こした所であり、昭和九年一二築城開始の年代は、鎌倉時代とさ南北朝時代に那珂通辰が勤王の義軍坦地です。す。石碑の裏面には、「1那珂西城はられています。北は、防ぼうぎょ禦困難な平土塁上には石碑(写真)が建っていまに東の那珂川、西の西田川により護も、「本城」の土塁南西端部にあり、二〇メートルを超える急斜面、さら入口)が残っています。史跡指定地端に位置し、東・西・南は、標高差空堀に囲まれ、北西端には虎那珂西城跡は、那珂西台地の南東こぐち口(出周囲は高さ三?四メートルの土塁とっている「本城」は那珂西城の本郭で、なかでも、現在宝ほうどういん幢院の境内地となに毫れ教第にた育石三な。会碑三る碑とは代も文石、内のは塚昭閣。、町和総林陸外一理は軍七〇大石大ヶ年臣川臣村、と県林に東な出銑よ茨っ身十り城たで郎建郡。、の立北後揮さ部指定年月日/昭和九年一二月一八日所在地/城里町那珂西一九五八管理・所有者/宝幢院県指定史跡「那珂西城跡」なかさいじょうあと城里町の文化財さんぽ(四)2015年9月広報しろさと10