ブックタイトル広報あみ 2015年9月号 No.654
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広報あみ 2015年9月号 No.654
広報あみ9月号通常版2015.8.28 22としょかんへようこそ町村合併60周年記念特別寄稿町村合併60周年を迎えて町村合併60周年記念特別寄稿住吉田村敏博和61年に市制へ移行した事はまだ記憶に新しいところです。阿見町は町域の中心に茨城大学農場や、自衛隊関東補給処があり、この様な地理的制約も在った為か、伸び悩んでいました。しかし、阿見町は近年完成した都市計画道路荒川沖・木田余線及び荒川沖・寺子線等の開通により土浦と荒川沖両駅へのアクセスが便利となり宅地用地が増えました。この結果、新たに本郷区が誕生、町が新小学校建設を決定するに至った事は誠に時代の要望に即したものでしょう。茨城県全体で人口減少が続く中、阿見町は人口増を示している数少ない町ですが、今後の阿見町発展の要は荒川沖駅を基点とした地域にシフトされると思われます。去る2月20日に区長会研修会を開催した際、「今後の県政の展望について」と題して山口やちゑ副知事から講演を頂きました。副知事が区長会研修会に出張講演するのは初めてとの話でしたが、背景には天田町長と県中枢の良好な関係と、県南地域に於いて目覚しい発展が期待される阿見町の将来性を見込んでの事と理解できました。また、町に期待する観点での話は非常に有意義でした。超高齢化社会を迎える10年後の阿見町を考える時、第6次総合計画を取りまとめて前進している現執行部には大いに敬意を表するところです。雪印メグミルク株式会社に代表される企業の誘致、阿見町消防本部の稲敷消防本部への広域化、男女共同参画社会の実現に向けてのセンター開所、国の交付金制度を活用しての町発展の要となる道路整備、防災無線の設置、防犯灯のLED化、人口増地区に於ける新小学校建設並びに学校再編の検討等いずれを採っても時節を得た施策であります。60年前には52名の区長が町の資料に名を連ねておりますが、現在は66行政区と成っております。阿見町区長会と致しましては行政と住民との間の直接的なパイプ役として更なる活動をし、町行政を大いにバックアップして参る所存です。昭和30年(1955)に旧阿見町・朝日村・君原村・舟島村が町村合併し現在の阿見町が誕生、本年ここに町村合併60周年を迎えられる事に対し衷心よりお慶び申し上げます。合併時の阿見町は世帯数4331、人口2万2852人でしたが、本年4月1日現在では世帯数1万9013、人口4万8007人と大きく発展しております。阿見町の名称は、この地が古くには阿見原と呼ばれていた事に由来します。江戸時代250年間は幕府直轄地であり維新後は明治政府の官有地でした。このため阿見原を空白地帯として多くの村が周辺に点在する事となりました。しかし、明治政府が明治10年に広大な阿見原を和歌山出身の津田出に払い下げたが、津田は後に事業に失敗し最終的に101名の地主に土地を手放しました。これらの人々が阿見原を開拓する事と成りました。しかし、大正6年(1917)頃、海軍がパイロット養成を目的として阿見原と霞ヶ浦湖畔に大飛行場等を建設する計画をたて、大正9年、阿見村の原野と霞ヶ浦湖畔の計約85万坪が海軍省によって買収されました。これが後の霞ヶ浦海軍航空隊、予科練へと変遷し戦後を迎える事となった事は良く知られている話です。日本中が沸いた飛行船ツェッペリン伯号の来日(昭和5年)、リンドバーグ夫妻がアリューシャン列島沿いに飛来(昭和6年)したのは霞ヶ浦海軍航空隊基地に於いてでした。明治29年(1896)の府県制施行、東京~水戸間の常磐線開通が近代化へ向けた大きな節目であったようです。阿見町には駅がありませんが、昭和53年に荒川沖駅が木造平屋から現在の橋上駅に変わり土浦市が同東口駅前を整備した頃から、同駅周辺の行政区の人口が増え、更には阿見町の広範囲な地域の人々も東口を経由して東京方面への通勤・通学者が急増したのを覚えております。昭和50年代前半位まで阿見町と概ね同規模であった牛久町が、急激な人口増で昭田村敏博さん平成12年朝日中学校PTA会長。町PTA連絡協議会会長。平成13年町PTA連絡協議会顧問。平成20年より住吉区長。平成22年より4年間、阿見町区長会副会長。平成26年より阿見町区長会会長、その間、多数の公職を兼務。■昭和時代の町の写真を募集しています町の移り変わりがわかる写真として昭和時代の写真を町民の皆さまから募集します(合併60周年記念式典などに使用することがあります)。▼応募期間9月30日(水)まで▼応募条件▼いつ頃に撮影されたかがわかる▼撮影場所が特定できる▼応募方法写真を直接左記に持参する▼その他▼写真はデータ化した後、原則その場でご返却します▼写真を部分的に使用する場合があります▼写真データに関する著作権やその他一切の権利は、町に移転することに同意していただきます▼問合せ秘書課?888ー1111(281)▲昭和30~40年代の自動車学校付近