ブックタイトル広報みと 2015年8月1日号 No.1361
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広報みと 2015年8月1日号 No.1361
許されることのない玉砕追い詰められた中川大佐は、11月8日パラオ司令部に一通の電報を送る。「全員敵飛行場ニ斬リ込マントスル状況ナリ」。これ以上の持久戦は困難と判断し、アメリカ軍が支配する飛行場を総攻撃し、玉砕する許可を求めた。どうせ死ぬのなら、せめて一矢報いたいという思いからだった。しかし、司令部からの返事は、「生きて持久せよ―」。兵士たちの願いはかなえられなかった。最期のときいよいよ弾薬は底をつき、食料はもちろん水すらも尽きてしまう。11月24日、これ以上の戦闘は不可能と判断した中川大佐は、周りの兵士を集めて、これまでの健闘に感謝し、訣けつ別の言葉を述べ、そして自決した。アメリカ軍が上陸前に、3日で簡単に攻略できると言ったペリリュー島は、歩兵第二連隊の奮闘により、2か月半持ちこたえた。兵士たちが日本のために、そして天皇のために命を賭して守り続けたこの島は、「エンペラーアイランド」とも呼ばれている。特集遠ざかる記憶―手元に残ったわずかなコンペイトウと乾パンだけで何日も過ごしました。夜になると、アメリカ軍が残して行った缶詰などを奪いに行くのですが、そこに集音器が仕掛けられていて、その音に気づいたアメリカ軍が撃ってくるんです。何人も撃たれました。体力・精神ともに限界の日々右の太ももを撃たれました。でも、戦いをやめるわけにはいきません。薬もなく、きちんとした手当もできないので、傷口にウジが湧いて、おにぎりくらいの大きさになっているんです。「最後の一兵になるまで戦え」という命令は残酷なものでした。突撃して一瞬で死ぬことができたらどんなに楽だろうと。いつ見つかるか分からないという緊迫した状況の中で、終わることのない戦いを続けることは、みんなを精神的に追い詰めていきました。終戦を受入れ、昭和年4月、投降の呼びかけに応じる終戦を知らせるため、アメリカ軍がマイク放送で呼びかけたり、ビラをまいたりして、投降を呼びかけてくるのですが、まったく信じませんでした。「日本が負けるはずがない」「いつか仲間が助けにやって来るはず」と思っていましたから。でも、それが事実だと知ったときは、頭の中が真っ白になりました。そのうち、すべてが終わったという思いと一緒に、命を落としていった多くの仲間たちのことが頭に浮かんできました。骨も拾ってもらえず、そのまま放置され、本当にかわいそうだと思います。今もあの時の様子が、昨日のことのように頭を離れることはありません。戦争は勝っても負けても悲惨。敵も味方もそれぞれに家族があり、死んだ人の数だけ、言葉には表し切れない悲しい思いをしている人たちがいます。今も世界のいろいろなところで紛争が起きていますが、戦争では何も解決できない。だから、若い人たちには、戦争の悲惨さを知ってもらい、もう二度と戦争を起こさない、平和な世の中を築いてほしいです。22永井さんは、ペリリュー島から持ち帰ったサンゴを見ると、今も遠い島に残していった仲間たちを思い出す。そこで味わった死と隣り合わせの日々、そして死ぬことを許されず、生き続けなければならない苦しみ。その記憶が消えることはない―。今も島に残る朽ちた戦車火炎放射戦車が洞窟に潜む日本兵を襲う5 2015. 8. 1広報みと