ブックタイトル広報みと 2015年8月1日号 No.1361

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概要

広報みと 2015年8月1日号 No.1361

特集遠ざかる記憶―参考文献:水戸歩兵第二連隊史、水戸市史軍の砲爆撃に備えて、堅固な陣地を造ることだった。これまでは、敵の上陸と同時に攻撃する水際作戦をとっていたが、この作戦は、早い段階で多くの戦死者を出してしまうことから、連隊長の中川大佐は、洞窟を利用して地下へ潜る持久戦が有効だと判断。サンゴ礁でできたコンクリートのように硬い岩山に洞窟を掘り、島の至る所に500以上の洞窟を完成させた。圧倒的な武力で現れたアメリカ軍9月6日、アメリカ軍が、パラオ本島、ペリリュー島に来襲して攻撃を開始。この攻撃により、島はその大半を焼き尽くされ、ジャングルは丸裸にされた。15日早朝にアメリカ軍は上陸を敢行。総勢約4万2000人が大挙して襲ってくる。迎え撃つ日本軍は約1万人。圧倒的な兵力と火力を前に、計画どおり洞窟陣地内に籠り、ゲリラ戦に転じる。しかし、武器や食料の補給が絶たれる中での戦いは、絶望へ続く道の始まりであった。歩兵第二連隊は、明治7年に創設された日本陸軍最古の連隊の一つである。日清、日露戦争から日中戦争に至るまで、精鋭部隊として最前線で戦った。明治42年に連隊が千葉県の佐倉から水戸へ移り、現在の茨城大学水戸キャンパスの敷地に配備された。隊員のほとんどが茨城県出身の郷土部隊であった。3 2015. 8. 1広報みと